アート・スペース・トーキョー:東京美術館ガイド

2008年7月11日 カテゴリー: 国内

アート・スペース・トーキョー:東京美術館ガイド

クレイグ・モッドのイラストを表紙にした東京の美術館ガイドブック「アート・スペース・トーキョー」。この表紙は、街路や名所をすべて排除した、水域と各丁の中心点を表す膨大な数のドットからなる独自の地図で東京の街を視覚化している。© チン・ミュージック・プレス

アート・スペース・トーキョー。この本をどれだけ待ちわびていたことか!選りすぐりの東京近郊のギャラリーの紹介と、その周辺地域の地図、評論や美術関係者との東京の街やアートの持つ役割についての詳細なインタビューに加えて、そして総合的なブックデザインの素晴らしさと、墨絵のイラストレーションを交えたレイアウトも必見。編集はフリーの編集者/ライターのアシュレイ・ローリングス、監修はチン・ミュージック・プレスのクレイグ・モッド。熱烈な東京都民の二人が作り上げたこの本は、以前にも紹介した東京とシアトルを拠点とする私たちのお気に入り、チン・ミュージック・プレスの新たな傑作となっている。本日のPingMagでは、そのアシュレイさんとクレイグさんにお話をうかがった。

作:ベレーナ
訳:山根夏実


ワタリウム美術館のキュレーター、和多利恵津子さん。「アート・スペース・トーキョー」より。© 高橋信雅

「アート・スペース・トーキョー」のアイディアは、2006年の末に出たものだそうですね。

クレイグ:当時私は次の本をどんなものにしようかということと、どうすれば身近なアイディアを活用できるかについて考えていました。その頃、ビル一棟をアーティストのシェアオフィスにした千代田区の「co-lab」に所属していたので、周囲にはアート業界と深い関係にある人々が多かったんです。同時に、ギャラリー探訪を楽しむ人間として、綿密なギャラリーの選定やガイドについて書かれた英語の本が存在しないということにももどかしい思いを抱いていました。日本語でも同じようなものは見つけられませんでしたし…。

ではアシュリーさんは…?

アシュレイ:私はその当時、まだ東京アートビートのパートタイムの翻訳家・編集者としてco-labで仕事をしていました。そこにクレイグが一緒にこのガイド本の仕事をしないかと持ちかけてきて、即座に興味を持ったのが始まりです。TABでの仕事は、東京のアートシーンにどっぷりと浸かるものでしたから、クレイグと二人で東京の800以上もあるスペースをどうやって絞り込むかを話し合うことができました。それ以降の数ヶ月間は、毎月に二日ほどずつ東京の様々な地域に足を運んで、ギャラリーや美術館を見て回ることに費やしました。少なくとも200ヶ所以上は見に行ったと思います。

六本木のアートと文化の三角地帯。左がカーム&パンクギャラリー、上が国立新美術館、右下は森美術館。「アート・スペース・トーキョー」の地図より。© チン・ミュージック・プレス

この本で紹介されている12のギャラリーは、どういった基準で選ばれたのでしょうか?

アシュレイ:この本では、特に特徴的な建物、展示スペース、もしくは歴史を持つギャラリー、または美術館に注目しています。ピックアップした12のスペースは、いずれも東京の異なる地域から選んでいるのですが、この街のギャラリーがありとあらゆる場所に散らばっていることを考えると、それもそう難しいことではありませんでした。そして焦点は一応アートに当てているものの、デザインや建築、アニメ、グラフィティのような、ビジュアル文化のその他の側面もカバーしたいという考えもありました。そうすることによって、様々なスペースのディレクターや学芸員とのインタビューを通じて、幅広い観点から東京のアートシーンの多彩な側面を盛り込めると思ったんです。最後に、ギャラリーを絞り込む際に、単なる地域から隔絶された空間ではなく、その近隣と有意義な関係を築いているギャラリーを見つけることも重要なポイントの一つでした。多くの場合において、その関係は単に建物がそうだというだけのものですが、稀にそれのみに留まらないケースもあるんです。

「アート・スペース・トーキョー」の見開きより。古書街・神保町のプロジェクト「KANDADA」とその周辺地域…© チン・ミュージック・プレス

それは例えば?

アシュレイ東京画廊+BTAPは銀座にある何の変哲もないオフィスビルの7階にあるギャラリーですが、その歴史が銀座の町や地域社会と完全に密着していることから選ばれたスペースです。ここは東京で初の商業的な現代美術画廊で、その歴史は東京の画壇や前衛美術の中心としてステータスを築いた、1950年代から1980年代の銀座と足並みを揃えたものでした。またこのギャラリーは北京にも進出していて、そちらは中国での現代アートブームの火付け役としても貢献しています。しかし東京画廊+BTAPは、銀座に残された数少ない本格的な現代美術ギャラリーです。1980年代の地価の高騰とともに、画廊が銀座でやっていくのは非常に厳しくなり、他の場所に店を出すようになりました。今のアートシーンが東京のいたるところに広がったのもそのせいなのです。

…と墨絵による神田、神保町のプロジェクト「KANDADA」のドローイング。「アート・スペース・トーキョー」より。© 高橋信雅

クレイグ:その対極として、ギャラリー・エフのような、建物自体が突出した場所もあります。ある意味、あまりにも個性的で美しい空間を持つこのギャラリーのような存在が、この本のきっかけになったとも言えます…。

アシュレイ:…ここは築140年の木造の土蔵を改装したギャラリーなんですよ。

クレイグ:10年前に開いたばかりのこのギャラリーは、未だに比較的新参でひっそりとしていて、美術界のレーダーから外れているような感じですが、それでも本当に特別で貴重なスペースですし、私たちがアートスペースに建築面でどんなものを求めるかの基準にもなりました。あとはその運営の仕方も特筆すべきものです。ディレクターとのインタビューを読んでもらえれば分かりますが、ここは非常にのんびりとした、普通の商業的なギャラリーとしての運営にはあまり拘っていない場所で、このスペースとアーティストを結び付けることのほうに関心を持っているんです。

それでは挿絵入りガイドブックとしての「アート・スペース・トーキョー」のコンセプトについて教えていただけますか?

クレイグ:この本は、反ガイド的なガイドにしたかったんです。それというのも、私たちがこのプロジェクトを始めた時に、書店で同じような本を探してみたのですが、美術館のガイドブックを頼めば、さしたる詳細な情報もない、ただ大きくて美麗な美術館の写真が詰まっただけのものを差し出されたからです。こういう本にはこういう本の意味があるとは思いますが、まったく深みがないという点にはもどかしさを覚えました。ですから100のギャラリーを取り上げるのではなく、本当に一握りのスペースに絞って、そこを深く掘り下げることにしたんです。

「アート・スペース・トーキョー」の見開きより。建築を専門とするGAギャラリーのディレクター、二川幸夫さんの絵。© チン・ミュージック・プレス

…中にはたくさんの繊細な墨絵が見られますが、これはどなたが描かれたものなのでしょうか?

クレイグ:今お話ししたような本の豪華な写真とは正反対のものにしたかったので、中のドローイングはすべて高橋信雅さんの墨絵になっています。編集的には、この本はピックアップしたアートスペースを担う人々についてのものなので、そういった方々を紹介することも重要な要素だと思いました。それと同時に、挿絵のほうが写真よりも想像の余地を残してくれるというのもありました。挿絵なら、アート界やそこにまつわる人々の持つ独特のとらえどころのなさを残しつつ、読者の方々に文章の内容との個人的な、深い繋がりを感じてもらえるのではないかと思いました。

では構成のほうは?

クレイグ:この本は、選ばれた12のアートスペースを中心に構成されています。各スペースに一章ずつ与えられていて、それぞれの章がその空間を墨絵で描いた、豊かで見ごたえのある2ページの見開きで始まっています。

ですからこの導入的なイラストが雰囲気を作り、そこから私達がかなりの労力を費やした(笑)近隣の詳細な地図などの便利な情報が続きます。そしてその地域のちょっとした紹介やスペースの背景的なディスカッション、開館時間や入場料などの一般的な情報があって、最後はなぜこのスペースが存在するのかについてのインタビューやエッセイなどで締めくくられています。

代々木のGAギャラリーのイラストレーション。「アート・スペース・トーキョー」より。© 高橋信雅

クレイグ:私は東京に住んで6年になりますが、この街には本当に愛着を持っているので、ギャラリーや美術館の周辺の地域にも言及することも大事だと考えています。ですからそういった意味では、この本は昔ながらのガイドブックだと言えるかもしれません。例えば、銭湯を改装したギャラリーのスカイ・ザ・バスハウスを訪れる場合、この本のインタビューでなぜこの施設が存在するのか、このスペースが現代アートシーンにどう当てはまるのかを理解してもらって、見学した後は近隣を探訪して一日を楽しむ。これもまたスカイのスペースを理解する鍵なのです。

本当に素晴らしいですね!

アシュレイ:ありがとうございます。この本は、東京近辺に在住していて実際に街を見て回れる人々と、それについて読んで学びたいと思う海外の人々のどちらにも役に立つ一冊です。そしてアートシーンについて何も知らない人に対してもとっつきやすくすることと、東京なり、ロンドンやニューヨークなり、すでに美術業界で働いている人々のための情報と、そのバランスもちょうど良い具合にすることができたと思っています。

上野のスカイ・ザ・バスハウス。「アート・スペース・トーキョー」より。© 高橋信雅

独特な企画へのアプローチで選ばれたギャラリーや美術館もあるのでしょうか?

アシュレイ:独特なのはどこも同じですよ。この本の重要なポイントの一つに、展覧会のプログラム自体よりも、その場所を支えるディレクターや学芸員の考え方のほうに焦点を当てているということがあります。それでもあえてどこかを挙げるとすれば、21_21デザイン・サイトがもっとも意欲的な監修へのアプローチを持っていると思います。あそこは作品を単なるショーウィンドウのように並べることを由とせず、インスタレーション的な展覧会を開催しています。そういう展示が好きかどうかは別として、かなり意欲的に取り組みながら、一般の予想の範疇を超える活動をしていると思います。古典的な監修という意味では、原美術館が素晴らしいと思います。

中落合ギャラリーのジュリア・バーンズさんとクリント・タニグチさん。「アート・スペース・トーキョー」より。© 高橋信雅

クレイグギャラリー小柳なんかは?

アシュレイ:ギャラリー小柳は、商業的なギャラリーの例に漏れず、監修よりも売ることのほうが強調されています。それでも東京の商業的なギャラリーの中では、小柳の展示は特に素晴らしいとは思いますが。あとは中落合ギャラリーとギャラリー・エフが、自分たちが仕事をする場所の歴史に応じた空間の使い方でインスタレーションや展示を見せていますね。

クレイグ:私は中落合ギャラリーが外国らしさを活用している点が興味深いと思いますね。あそこでは時々、東京在住の外国人が所有する個人マンションで、一夜限りの展示なども企画しています…。

高橋信雅による、新宿の中落合ギャラリーのイラストレーション。「アート・スペース・トーキョー」より。© 高橋信雅

アシュレイ:…必要に迫られて生まれたアイディアなんでしょうね。東京の一般的なギャラリーよりも、個人の豪華マンションのほうが壁スペースに恵まれていることは決して珍しくないですから。ですがもっと興味深いのは、真っ白な四角い部屋ではなく、個人の家庭的なセッティングの中で美術品が売られているということです。これはロジャー・マクドナルドがアーツ・イニシアチブ・トーキョーのエッセイで述べた東京の「スペースのなさ」にも関連した問題で、東京のアートスペースは、このように非常に移ろいやすい、儚いものなんです。展覧会とは、必ずしも美術館で行われる1ヶ月間のお祭りでなくてもいい。広尾のマンションでの一夜限りのものだって十分にアリなのです。

この街では概して色々なものが短命ですよね…。多くのギャラリーにとって、2004年はかなり特別な年のようですが、これはなぜなのでしょう?

アシュレイ:この本の中でも、2004年について触れている人は数人います。2004年以降、新世代のギャラリーが続々と作られていて、東京のアートシーンはこの年に本格的に動き始め、様々なものが勢いづいてきたと言えます。美術市場は力をつけ、アートフェアが確立され、本格的なギャラリーが十分に増えたことによって、東京のアートシーンは再び国際的な舞台に立つまでになりました。経済のバブルが弾けて以来、東京の美術市場が回復するには10年から12年を要したのです。

シンワアートオークションのCEO、倉田陽一郎さん。「アート・スペース・トーキョー」より。© 高橋信雅

10年もですか?でも少なくとも、アートと何らかの関わりのある仕事をしている人は大勢いるはずなのに、それでもギャラリーの数は十分ではなかったのですか?

アシュレイ:これは要するには、美術市場の基本的なインフラの問題なんです。東京の本格的な商業ギャラリーとコレクターは、今でもアメリカ、ヨーロッパや中国と比べてごく僅かです。おそらく1980年代の後半には、多くの企業や個人投資家が美術で、それも特に印象派の作品で大金を儲けたので、バブルによって否定的な見方の悪循環に陥ってしまったのだと思います。バブルが弾けたとき、彼らは手に入れた作品の価値が暴落するのを目の当たりにしました。現代アートの価値は、印象派とくらべて特定するのが遥かに難しく、1990年代に大損をしてからは、率先してアートシーンに投資しようというものは誰もいなかったんです。アートとは楽しむものだということに人々が気付くのに、長い時間が必要とされ、まさしくその点が近年の日本のコンテンポラリー・アートの焦点とされてきたように思われます。

浅草にあるギャラリー・エフのディレクター、マヒロさん。「アート・スペース・トーキョー」より。© 高橋信雅

それはどういう意味なのでしょう…?

アシュレイ:この五年ほどの間は、現代アートを幅広い層に身近なものとすることを目的として作られた森美術館のような場所が増えてきています。この現代アートの普及の流れはメディアにも反映されるようになってきていて、多くの雑誌が現代のアートシーンとアートを買うというプロセスを分かりやすく説明する特集号を発行して、一般の人々のより前向きな認識を生むのに貢献しています。

この本を作るに当たって、当初私たちは物理的な空間に注目するつもりだったのですが、そこから美術市場やアートシーン全般などの話題もカバーするためにも内容の幅を広げようと考えて、アートフェアやオークションハウスのディレクター、コレクターやメディア関係といった、必ずしも特定のスペースと繋がりがあるわけではない人々のインタビューも含めることにしたんです。雑誌「ART iT」の編集長である小崎哲哉氏による、日本の美術出版界と評論について考察したエッセイなども掲載されています。

そのすべてが美しい、書籍「アート・スペース・トーキョー」。© チン・ミュージック・プレス

なるほど。では日本の美術評論に対してはどのようにお考えですか?

アシュレイ:私としては、日本人は芸術という分野においては非常に柔軟な人種だと思います。その作品の内容を理解するためのあらゆる努力を行ったと感じるまでは、何かを批判することを好まないのです。世界中の人間が、現代アートを理解することの難解さを認識しています。例えばイギリスの新聞なんかでは、さほど自分が批評しているものを理解するための努力を払ったとは思えないライターによる、おざなりな現代アートの評論が見られますが、日本ではそういったものも好意的に解釈し、自分が必ずしも十分な知識を持っているとは思えないものに対しては中傷を避けるという慎重さがあると思います。


アート・スペース・トーキョーの表紙を飾る上質なシルクスクリーン。

ですがそれもまた問題で、評論はアートシーンを前進させるためには重要な要素です。日本の評論の文化は、まだ他の国々のアートシーンにおけるそれほどは成熟しておらず、それがこちらの美術市場やアートシーンが力を付けきれていない原因の一つだと思います。

にも関わらず、原俊夫氏はアート・スペース・トーキョーのインタビューで、今の美術館の建設ブームについて話しています。これはどういうことなのでしょうか?

アシュレイ:1960年代から1980年代末までに作られた美術館は、かつてのアートシーンの原動力であり、流行の指針ともなった存在でした。ですがそれも1990年代に入ってからは衰えて、政府の援助も毎年減額の傾向にあります。現在は美術館に民間の資金による独立経営を推奨する方向に、国の政策として向かっているのです。そして今のブームには、例えば1980年代の遺産とも言える、六本木の国立新美術館のように、1980年代に計画されたものが今になってようやく完成したものもあります。概して、森美術館のような民間や企業が運営する美術館が主流となる傾向にありますね…。

クレイグ:…もしくは東京ミッドタウン内に開設されたサントリー美術館とか…。

その一方で、アーティストも民間のスポンサーや政府の支援を受けるのが非常に難しいようですが…。


輝くような微笑みを浮かべる、この本の制作者のアシュレイ・ローリングズさん(左)とクレイグ・モッドさん(右)。

アシュレイ:この本のインタビューでも終始指摘されていますが、政府はアートシーンを支援するためにできることを怠っているのです。東京のアートシーンのインフラは、公的支援ではなく、ますます民間主導で成長していっているのが現状です。

その点についてももっと詳しくお聞きしたいところですが、残念ながらここら辺で切り上げなければならないようです。最後に一つだけ、チン・ミュージック・プレスのその他の本と同様に、こちらもまた心のこもった一冊ですね!

クレイグ:そうですね、でもこの本は特に、二人のアートオタクの愛の賜物だったと思います!(笑)

本当に!クレイグさんとアシュレイさん、今日はありがとうございました!そして読者の皆さん、アート・スペース・トーキョーは必読の一冊。日本ではすでに店頭に並んでいますが、アメリカでは9月に発売予定。現時点では、日本語版を作る資金はないそうですが、そこは今後に期待しましょう…。

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