
イラストレーターのケン・タヤは、アメリカのゲーム開発企業「バンジー」のアクション・シューティング・ゲーム「ヘイロー3」の環境アーティストでもある。日系二世アメリカ人である彼が、その文化的バックグラウンドを持ちゲームの世界で働くことは、どんな意味を持つのだろう?「ヘイロー3」が2週間後に発売される今だからこそ、知りたいことが沢山ある…。
作:ベレーナ
訳:ジュンコ

彼の話は、まず次のような自己紹介から始まった。「僕はこれまでアメリカと日本の両方に住んだけど、どちらでも受容と拒絶の両方を経験したんだよね。多分、僕の芸術は、両方の文化に対する独特な“理解”と“誤解”のミックスから出来ているんだ。それって、他の日系人…日本人移民、それから彼らの子孫達が、自身の遺産を理解しようとする時、関わることが出来る何かなんだと思う。」 …
ケンさん、まず始めにお仕事の内容を教えて下さい。
以前は、日本のゲーム会社、任天堂ソフトウェア・テクノロジー(NST)で「1080゜アバランチ」というスノーボードゲームを作っていたんだけど、そこでは、ユーザーインタフェースと、ステージ選択スクリーンをデザインするのを手伝っていた。現在はバンジーで、環境アーティスト、つまりプレーヤーをゲーム経験に浸すような3D環境をデザインする仕事をしているんだ。

では、ヘイロー3の環境アーティストとして、良いゲーム環境を作るにはどんな事が大切だと思いますか?
ゲームプレーとビジュアルの間に相乗作用があると、プレーヤーは全ての動作を自分自身で経験する感覚になって、環境に没頭するようになるんだよ。
どうしたらプレーヤーを最高に没頭させることが出来ますか?ドラマティックな雰囲気?それとも何か他のもの?
環境ビジュアルだけでは誰も没頭させることは出来ないよ。そこには、ゲームプレー、音楽、物語、キャラクタとの相互作用。こういったものの間に正しい組み合わせが必要なんだ。それに、プレーヤー自身がキャラクタをコントロールしているんだっていう感覚を持てるようにしなければならない。
理想的な環境ってどんなものでしょう?
それは、どんな種類のゲームを作りたいのかということによると思うけど、僕としては、理想的な環境ってプレーヤーがキャラクターの中で生きることを許すようなものじゃないかなと思う。

ソフトウェアに関して、お気に入りのツールってありますか?
フォトショップは勿論、それに3Dスタジオマックスは、好きだけど同時に憎たらしいって感じてる(笑)。それと、オープンキャンバスをいじっている間に簡単に虜になっていた。
ご自身でよく遊んだ、永遠のお気に入りゲームってあります?
ファミコンの「ファミスタ!」は、実は今でも時々ほこりを払って、ノスタルジアに浸ってプレーしてるんだ。友達と1対1で対戦するのは燃えるし、ファミリー・スタジアムは、競争をシンプルな楽しみに煮詰めた傑作だからね。

米国で生まれた日本人という、二つの異なる文化的バックグラウンドを持っていることは、ゲームデザインをする上での観点にどんな風に影響していると思いますか?
まず、文化的な理解と誤解に関して、僕は「エンフ」という名前を使って探究してるところ。エンフっていう名前は、「猿」と「風(スタイル)」っていう漢字に由来しているんだけどね。デザインのプロセスに関しては、他のアーティストと大差ないと思うよ。でも、デザイン選択に関して、それぞれの文化同士が反感を持ってたりするのは分かる。例えば、色の選択に関して言うと、日本人のデザイナーは、薄い色の使用について、それはダメな選択だって感じに暗に伝えてきて、明らかにより濃い色味を好むんだよね。日本人以外のデザイナーの下で働く時に、同じようなことはないよ。
僕は、双方が互いのデザイン選択についてちょっと否定的に見ているって感じる分、個人的なデザインの選択をする時、その狭間で悩むんだ。こういう違いを抱合することは僕にとってとてもチャレンジングなことなんだよね。だから僕自身、片方がもう一方よりも優れているわけではなくて、各々がただ「異なっている」だけなんだっていうことを、しょっちゅう思い出すようにしているんだよ。

では開発に関して、日本とアメリカの企業におけるゲームデザインの視点の基本的な違いって何だと思いますか?
意味論の点から見ると、デザイナーという実際の言葉と、そのポジションに与えられる役割が違ってるかな。それから、これは一般論になるけど、僕は日本人のゲーム開発者は、何よりも感覚を大切にするけど、アメリカの開発者は外見に重点を置いていると感じるな。

「外見」と「感覚」とは面白いですね…。では、ご自身のアプローチに関してはどうですか?日本的?それともアメリカ的?
それは勿論アメリカ的だと思うよ。日本人の中にいると、僕は凄くアメリカ人だって感じるけど、逆に米国にいる時、僕が自分自身を日本人だって感じるのはほんとにごくまれだからね。エンフ・セリグラフのデザイン選択を見て、是非判断してみて欲しいな。多分両方の要素を見ることができると思うけど。
アメリカで、ある種日本風のテイストが含まれている製品が、より注目されるのはどうしてなんでしょう?
エキゾチックなものは何でもある種のアピール力があるよ。もっとも、これが双方向で当てはまってるとは思わないけど。アメリカ国内で売れている日本に関連する製品よりも、日本国内で売れてる欧米に関するものの方が圧倒的に多いはずだからね。例えば、ブラッド・ピットが日本でエドウィンのジーンズについて宣伝はするけど、アメリカでファッション・ブランドの宣伝をする渡辺謙は見ないでしょう?…少なくとも、今のところはね。

同じことは日本市場の製品にも言えますよ。どこか「アメリカ」的なものは粋だと感じる人も多いですよ。でも、どうしてこれが、国際的に売られるべきゲームになると、互いの違いを良い風に取らずに衝突してしまうんでしょうね?
最近アメリカで、モロに“日本”を狙いすぎの三菱のコマーシャルを目にしたんだ。太鼓奏者たちが能みたいな大きな声を出して、バックには尺八の音…。日系アメリカ人の僕としては「僕とこれとは一切無関係だから…。」って感じだったよ。そして、トヨタのプリウスを買った(笑)。そういったことを感じる以外は、僕はマーケティングの専門家ではなくて、ただのアーティストだからね。どうしてアメリカのゲームを日本で成功させるのが難しいのかは分からないよ。

大きな違いっていうのは、異なる文化的、または、社会的背景にあると思いますか?
僕はね、基本的には両方の文化の間に一般的なゲームに対する観点の違いがあるとは思わないんだ。僕らはみな、鬼ごっこ、缶けり、ポーカー、ボードゲームといった世間一般のゲームの中で育ってきたんだし。
これまで米国内で働いた経験しかないけど、沢山の日本企業で働いたことがあるんだ。その中で、2つの文化には、管理職の姿勢に大きな違いがあるとは感じたよ。日本人の管理の下で働いているときは、自分自身で考える必要が無いほど、いちいち教えられる感じだし、とにかく何でも把握していることが必要みたいだよね。アメリカ人管理者の下では、間違いをしてもそこから何かを学ぶという経験をする自由を与えられたよ。こういう違いに関して「日本はきつ過ぎ。アメリカはゆる過ぎ。」ってよく耳にするよ。両方に対してかなり否定的なんだけど、それぞれの文化が何を大事にするのかってことを明確に表してるよね。

エアーブラシで書かれた情緒的ポスター。Halo 3 © Bungie
それから、日本企業の意思決定やプロセスは、全て極めてトップダウン式で、プロセスに関する対話が縦にほとんど共有されないけど、アメリカの会社では、みんなの声が考慮され、自分の意見が求められていると感じることができるんだよ。それに、異議は大いに受け入れられて、最も下層の方からも聞かれるんだ。僕は、デザインプロセスがもし厳格に管理されるとしたら、それが創造性をつぶすと思う。少し無菌であると感じられるようなオフィス環境では、管理は堅く感じられるし、空気は緊張してて…。クリエイティブであることを大切にする、アーティストとしての僕が必要とする環境は、全くその正反対なんだよね。
なるほど。…ここで終わらなければならないのが本当に残念です!ゲーム環境デザイナーのケン・タヤさん、ありがとうございました!彼のブログの可愛いダルマも要チェックです!
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