ロゴが消えたサンパウロの街

2007年8月27日 カテゴリー: インターナショナル, フォトグラフィー, 建築

ロゴが消えたサンパウロの街

広告が点在していた時代の名残として佇む看板の枠。ブラジルのサンパウロ、2007。(写真:トニー・デ・マルコ)

今年の初め、サンパウロで施行された新しい法律は、ほぼ一夜にして街の景観を激変させた。その法律とは、なんと、広告、看板、ポスターの全面禁止!都市部から違法なビラ広告を一掃する試みとして、あらゆるものが禁止されることになったのだ。こういった手段に出るのはサンパウロが初めてではないものの、この光景は私たちが敬愛する消費者至高主義的な習慣について思いを巡らせるには最高の機会ではないだろうか。この2ヶ月間、写真家のトニー・デ・マルコはFlickrのサイトにアップした自身の「サンパウロ・ノー・ロゴ」コレクションで看板広告が解体される過程を記録し続けてきた。本日のPingMagでは、トニーさんと共に広告が引き剥がされた街を巡りながら、Flickrユーザーのコメントを紹介しよう。

作:ベレーナ
訳:山根夏実


広告を引きはがされた看板。サンパウロにて。(写真:トニー・デ・マルコ

ロゴが消された建築物。(写真:トニー・デ・マルコ)

「私たちが目指しているのは、完全な文化の変化です」とは、市議会議長のロベルト・トリポーリ氏が去年ヘラルド・トリビューン紙に語った言葉。その結果、全ての看板広告がその他の配布物とともに撤去されることとなった。もちろんビラも禁止!外皮を一枚むいて、その下に眠る広大な都市があらわになった後は、一切の視覚汚染が規制された。この「文化の変化」なるものは、視覚的純粋主義に対する明らかな暗示だったのだろうか?それとも、実質的にはサンパウロの住民の生活水準を上げる必要性について述べたのだろうか。

疲れた目にはいい休息かも?(写真:トニー・デ・マルコ)

新しい都会の美学?(写真:トニー・デ・マルコ)

この春、すっかり変わってしまった風景の中を運転しながら、ブラジル人レポーターのヴィニシウス・ガルヴォンがオンライン・ニュース・ポータルの「オン・ザ・メディア」にその鮮明な描写を語った。

「サンパウロはとても垂直的な都市で、それがこの街を余計にゴチャゴチャにさせています。これまでは、全てのビルや家々が看板、ロゴ、宣伝などで覆われていたので、その下の古い建築物を認識することもできませんでしたし、そこには基準というものもありませんでした。」


看板広告が解体され…(写真:トニー・デ・マルコ)

…撤去される。(写真:トニー・デ・マルコ)

真新しいペンキを塗るスペースが…(写真:トニー・デ・マルコ)

…ディスプレイを撤去した後に現れる。(写真:トニー・デ・マルコ)

しかし、これまで都会のジャングルを歩く時に巨大な宣伝広告を目印としていた人々は、他の目印を探さなくてはならなくなった。それについて、ガルヴォン氏はこう話している。

「面白いことに、これまで目印だったものがなくなってしまったから、道に迷うんです。それが市民として私が最初に気付いたことでした。これまでの私がよく使う目印は、大きなパナソニックの看板だったのですが、今ではその看板の変わりにアール・デコ風の建物を目印にしています。要するに、人は街で新しい目印を見付けていくんです。そしてこの街は新しい言語、新たなアイデンティティを得たのだと思います。」

なるほど、統一された都市景観の日の出を祝うとまでは中々いかないもの。それに、企業の対応も迅速だった。

「…大銀行やドルチェ&ガッバーナのような有名店は、店舗を黄色、赤、濃い青などの強い色に塗って視覚的なパターンを作り、自社のブランドとそのパターンや色を結び付けるようにしたのです。」(ガルヴォン氏)

店舗は速やかに建物の概観を特定の色に塗装し、人々にその場所を視覚的にアピールし始めた。(写真:トニー・デ・マルコ)

PingMagでは、トニー・デ・マルコさんにサンパウロの市民が新しい自由にどう対応しているのか、そしてこの8ヶ月間の後にまだその状態を歓迎しているのかを聞いてみた。

「市民は、経済力に反してこの規制が今でも続いていることに驚いていますね。賛同は強まってきています。」(トニーさん)


メンフィスでも全ての商標が規制されている。トニーさん同様にFlickrユーザーであるロード・オブ・ザ・ファイル氏が携帯カメラから撮影した写真。

視覚的に邪魔なものが取り払われた街並みを歩く時、トニーさんは写真家としてどのように感じるのだろうか?

「とても良い感じ。どこにも言葉がなくて、壁に嫌な写真もなく、駄目なフォント(Arialとか)が目を汚すこともありません。今ではブラジルの他の街に行くと、どこも醜悪に見えます。全て視覚汚染ということです。」

Flickrユーザーのロード・オブ・ザ・ファイルさんが携帯カメラから撮影した写真からも分かるように、メンフィスなどの他の都市でも、このような規制を実施しているところはある。

では、インターネット上でこういったイメージを見る人々はどう感じているのだろうか?Flickrに投稿されているトニーさんの「サンパウロ・ノー・ロゴ」コレクションでは、すべてのユーザーコメントを見ることができる。

骨組みだけが残された看板…(写真:トニー・デ・マルコ)

「すごくシュールな光景」Tom Olliver

「美とは空の看板」datakid musicman

「すべてが奇妙に…現実的に見える。まるで幻影が取り払われた後みたいだ。」snailsaremyfriends

「まるで見えて嬉しい幽霊みたい」(ratiofarm

三つの空間レベルに混在する様々なスタイルが興味深い。(写真:トニー・デ・マルコ)

「最近見たものの中でもっとも不気味な光景が、世界の本来あるべき姿だと思うとがっくりする。」charge

「この骨組みの中にアートを入れてみたいな…」Kabren


広大な表面、ソ連崩壊後のスタイル?(写真:トニー・デ・マルコ)

トニーさんが一番気に入っている写真。「自然物と無機物のフォルムのコントラストが素晴らしい。」(写真:トニー・デ・マルコ)

「資本主義の骨組みが見え見え!」robin746

「視覚的なゴチャゴチャがなくて本当に爽快」zenlibra

「“視覚的ガラクタ”がないのは確実にソビエト」rdouglaswright

新しい視点に向けて…。(写真:トニー・デ・マルコ)

これらは全てがとても保守的に感じられる。そして広告という概念の境界線も興味深い。とは言え、広告のない街は面白くないと言っている訳ではなく、私個人の中にはどちらの美学の余地もあるものだと思っている。コンセプチュアル・アートは、ある意味広告があってこそ存在するものなのだから。

「進歩、人類の成長、進化、他に好きな言葉で呼ぶ(少し譲歩して)それは、とても自然なことだと思う」Artificialone

「広告で生計を立てていた人達はどうなってしまうのだろう…」
yacoza


ブラジルの空にはよく映える光景…。(写真:トニー・デ・マルコ)

…塗装業者はどうやって稼いでいくのだろう?(写真:トニー・デ・マルコ)

「北朝鮮みたい。北朝鮮に住みたい人なんている?私は御免だ。」muaddib420

「雑多で圧倒的且つ尽きることのない視覚汚染の中での生活を分かってないと思う。私は今のサンパウロの方が好き…」Kuja

寂れた骨組みはある意味ロマンチックかも…(写真:トニー・デ・マルコ)

「宣伝を排除したら、街がどれだけ汚いかが分かる。少なくとも宣伝は色を添えていたと思う。」Frostfox

「じゃあ、落書きはOKで広告は駄目なの?広告業者がスプレー缶を手にする日も近い…」chrisfurniss

「宣伝広告の終わりを目にするのは最高」Lord of the Flies

…という訳で、皆さんはロゴが消えた街についてどう思いますか?これがもし東京で起こったとしたら…??サンパウロの街の様子を動画でご覧になりたい方はコチラ(footage of São Paulo streets)へどうぞ!

14 コメント

  1. Posted by: wwwaku » サンパウロへ行ってみたくなった @ 8月27日2007年

  2. サッカースタジアムの広告はどうなっているのでしょうか?

    Posted by: takeshi goto @ 8月28日2007年

  3. カーナビは建物の色を目印にする?

    Posted by: MAME @ 8月30日2007年

  4. 広告は害毒。サンパウロ市当局の英断を称えたい。

    Posted by: 匿名 @ 9月1日2007年

  5. 大同小異
    京都市もこれをやろうとしている。
    が・・・

    Posted by: 匿名 @ 9月2日2007年

  6. 京都・・・
    単なる色彩の抑制が即ち美観の保持に繋がるものではないことを実感させてくれる。
    そしてこの「かつて美しかった街」の玄関口、京都駅そのものが・・・

    Posted by: 匿名 @ 9月3日2007年

  7. スバラシイ!

    僕たちは家の外でも中でも無自覚に
    暴力的に宣伝に犯されている。
    仮にそれを取り除けば脳のキャパシティが
    何%かアップするかも知れない。

    Posted by: 匿名 @ 9月3日2007年

  8. これで本当にいいんですかね。
    確かに清潔ですが、経済に代表される人間独特のゆがみかたも私は嫌いではないです。

    Posted by: nicorette @ 9月6日2007年

  9. これは流石にやりすぎだと思います。
    鉄筋だけが残っているのは、品の無い看板がたくさんあるよりも汚く感じるし、
    看板そのものを規制するのではなく、
    看板の位置やデザイン、素材を規制するべきだと思います。
    ローマや100年前の京都にも看板はありました。

    Posted by: nicorette @ 9月6日2007年

  10. この試みでどうなるのかとても興味があります。
    文化価値を整えたいという国の発想とは逆に、日本で観る広告と比べて諸外国の広告はバラバラのようで妙に全体がマッチしている魅力もまたあります。生活妨害にも見える広告ですが、ある意味文化でもあるような気がしますけどね。

    Posted by: Gotty @ 9月7日2007年

  11. 今まで規制が無かった→徹底排除

    ばかじゃないの?と思う。
    看板がなくなったことで、建物を塗装とか・・・
    そっちのほうが状況としては終わってますね。
    広告が悪いのではなく、町との調和を考えない
    広告主が悪いんです。

    町並にふさわしい広告の形は、必ず存在します。
    そして、ふさわしい広告は風景を豊かにします。

    こんな町に行きたくないですね。

    Posted by: なんだかね @ 10月15日2007年

  12. とてもよい事だと思う。
    ●〔広告が悪くない〕考えが足りない。グラフィックデザイナーや広告のプランナーが美しいものを作るのは知っている。ではなぜ低レベルの広告で街が侵せれているのか?広告の存在意義をもう少し突き詰めた方がいい。大体こういう努力に文句をつけるなら、あなたが主体的に広告主のところに言って文句をいえばいい。努力に対してなにもしていない人がどうこういうのおかしい。
    ●〔京都駅〕十分美しい。良さがわからないのは美術・哲学・建築の勉強が足りないだけ。京都は今も美しい場所があるし、それを維持してきた人たちの努力に敬意を払うべき。現代性を保ちながらあれだけ古都の雰囲気残してきたことは大変な努力と葛藤があると思う。
    ●〔カーナビ〕分かりづらい場所は道路標識等でカヴァーすればいい。それこそ完成度の高いものをデザイナーさんに提案してもらえばいい。立体的なものでもいいと思う。
    ●〔建築に色を塗る〕広告がなくなり色が無くなったからってペンキでベタベタ色を補うわけではあるまいし考えが低レベルすぎ。木の色。ガラスの色。コンクリートの色。壁をはうツタの色。適切であればペンキでもいいし。

    Posted by: 当たり前 @ 2月23日2008年

  13. [...] ロゴが消えたサンパウロの街 [...]

    Posted by: ブラジルのサンパウロの街から広告がなくなった!? - デッサン ~無謀な鉛筆~ @ 7月21日2008年

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    Posted by: 東京の消えた風景 | ってどうよブログ @ 10月2日2009年

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