A1one: イラン・グラフィティ第一世代

2007年1月19日 カテゴリー: インターナショナル, ストリート・アート, 特集

A1one: イラン・グラフィティ第一世代

Aloneのタグとステンシルの結合。ストリートアートへの最初のステップは、テヘランのAPC地区からだった。

イラン… 我々は、それについて実際どれくらい知っているだろうか?見聞きする事柄のうち、本当のところどれくらいが真実なんだろうか?そもそも我々は一体どんなイメージを持ってる?…そこには、「イラン流グラフィティ」や、「テヘランのストリート・アート」のイメージは含まれているだろうか?

もしイランのグラフィティやストリート・アートのイメージが浮かぶとしたら、それはどんな感じだろう?何か強い反米メッセージのようなものを想像するだろうか?政府に対する強い感情表現?それとも、地元の政党への同情とか?…例えばそれが公式声明に関するようなものでは全然なくて、単に個々の表現であったとしたらどうだろう?…というか、多分それら全ての要素があるのだろうが、この特殊な環境の中でのストリートアートは、今後どんなものに成り得るか、未だ発展中なのかもしれない。…今回Pingmagは、テヘランでグラフィティを始めたA1oneにインタビューするチャンスに恵まれた。

作:ウレシカ
協力:ヤン・チプチェイス
訳:ジュンコ

まず最初に、グラフィティを始めたきっかけを教えてもらえますか?

実は、自分でも最近それについて考えてたとこなんだ…僕が小さい頃、テヘランは本当に穏やかで静かな街だった。そして僕は、わずかしか触れる事が無かったビジュアル表現に対して、興味を持っていたんだ。こういうポスターはどこから来るんだろう?誰がそれを貼るって決めるんだろう?そして誰が映画の宣伝板を作るんだろう?…ってね。知っていると思うけど、1990年代まで僕の国の経済状態は最悪だったから、その頃は、今のようにカラフルな広告やらにかけるお金も関心も無かったんだよ。

今日のイランの壁画

1998年、僕は変わらず絵に熱中していたんだけど、ひょんな事からインディーズ音楽に関わることになった。そしてニマというドイツから来たイラン人ラッパーに出会ったんだ。それが僕の人生を変えることになるとはね。彼と過ごした2日間の間に、僕は、アンダーグラウンドのヒップホップ、ノイズ・アーティスト、グラフィティ集団、それからストリートアートについて知ったわけ。

僕も、ディエゴ・リベラダビッド・アルファロ・シケイロスなどのメキシコ人の壁画家の壁画芸術は知っていたよ。それに、映画や雑誌の中で、沢山の壁画や大きなフォントを見てはいたし。でも、この類のアートシーンが存在しているって事は知らなかった。…都市の壁の上に描いたイメージと文字を通して自身の考えを表現するなんてさ。それに、それがここイランと同様、ドイツでも不法であるって事すら知らなかったな。

僕らはただ、そういう事について夜通し話しただけなんだよね。でもそれは僕の中で間違いなく引き金を引いて、本当の動機となったんだ。

2003年には、僕は異常な大学への圧力を表現するため、大学の壁に30×40cmのムンクの叫びをスプレーした。


大学の壁にスプレーされた、30X40 cm四方のステンシル「ムンクの叫び」

APC地域にある、他のA1oneの作品のクローズ・アップ

そして、大学を卒業した時、ようやく義務から解放されたように感じられて、今後の人生はA1oneとして、ストリートアートとグラフィティに捧げたいと思ったんだ。

あなたにとって、グラフィティとは何ですか?例えば、何かに対する抗議とか?それとももっと、個人的な表現という意味合いの方が強いのでしょうか?

抗議ではないよ。…僕は軍人では無いし、僕の作品は、投げられたり壊されるための石なんかでは無いからね(笑)。人々と共有したいと思う、僕の個人的な経験なんだ。僕は、道端の絵画って、手紙と同じだと思うな。…つまり、そこに作家がいるって事の証明だから。まぁ、人がこの手紙を受け取りたがっているかどうかは、また別の問題なんだけどさ…。

テヘランのAPC地域に初めてグラフィティ・アートを描いた時の様子は、どんなものでしたか?

僕が始めた頃、そこには絵が一つも無かった。ヘビーメタルバンドの名前の小さな走り書きとか、ロゴを真似て書いたものくらいしかね。

APC地区にあるモスクの脇の建物の中の作品。下方のヘビーメタルバンドの名前と、手前の人間の排泄物に注目。

僕の初めての作品は、夜遅くにテヘラン-カラジ高速道路の横の壁に描いた、「友達を捜し求めて」というタイトルの凄くシンプルなものだったよ。本当に恐ろしい夜だったな…。 翌朝、僕の絵のスタイルを知ってる友達から、3本電話をもらったよ。彼らは、僕の作品が公共の壁にあるのを見てショックを受けてたけど。

1カ月後、友人のマゴイが、僕と一緒にグラフィティをすることになった。その頃僕らは、「グッドモーニング・テヘラン」、「社会的刑務所」、「社会的悲しみ」、それから「1つの目」シリーズと題した作品たちを製作した。これらの作品の全ては、国の職員、グラフィティ・シーンの新参者、その他いろんな人たちによって削られたり取り除かれちゃったけどね。

A1oneとマゴイによる「社会的刑務所」

同じ作品。こちらは表面が削られたもの。

それ以来、イランのグラフィティ・シーンはどんな風に発展していますか? 他にはどんな人が参加したんでしょう?

僕は、尊敬してた他のアーティストの何人かに声をかけてみたよ。単に断った人もいるし、ただびっくりする人もいたし、それから実際に参加した人もいた。例えばアーティストで友人のElle、K.T.、それにIsbahとか。その後テヘランのGishaエリアで別のグループが出来たんだけど、2005年の1月には彼らのイメージがいくつか僕の所に送られてきたよ。今だと、だいたい10人の活動家がいるんじゃないかな。

みんな仲良くやっているんですか?

僕がグラフィティを始めた2年後に、僕の古い作品がテヘランの新世代ストリートアーティストによって研磨されたんだ。多分、単に注目を浴びたかったか、もしくは僕に対する否定的態度を示したかったんだと思うけどさ。でも最近は、集団としても個人としても、とても良い共同体になったよ。

APCの「スケートプール」にコンクリートで作られたスケートランプ。

斜面の上のA1oneと、それを撮影するヤン・チプチェイス。

現場には女性も関わっていますか?

うん。2、3人ね。最初は、ペルシア人ラッパーのサロメだったよ。

警察や政府のグラフィティへの反応はどんな風ですか?

実は、それに関してここにはまだ法律が無いんだ。でも彼らは、全ての事が政治に関係してるっていう風に考えるから、若者が壁にスプレーするのを見たら、「アメリカ寄りの考えを持ってて革命を起こしたいのか、もしくは西洋か何かに取りつかれてる」っていう風に理解するんだと思う…。

テヘランの通りの「平和」を願って

テヘランのグラフィティとストリートアートを取り上げた、イランのアンダーグラウンド・アート・スペース「Kolah」スタジオの「都市」セクションにアクセスしてみたら、そこには平和を願う心しか残されていなかった。

でも、Kolahスタジオなどのアンダーグラウンド・プラットホームは別として、最近では、「社会がどういう風にグラフィティに対応すべきか」なんて肯定的な記事を載せる新聞や雑誌も出版されてるんだよ。作家を犯罪者のように扱うんではなくて、むしろグラフィティを新しいアートとしてリスペクトするようになった他国の経験を踏まえようって提案したりしてね。ここイランにだって、良い読み物があるんだよ!(笑)

マゴイによる鳥。檻はA1one作。

この鳥の周りに描かれた檻を見てると…ここイランの人々にとってこういったグラフィティが一番問題になっているのは何故だと思いますか?絵画の伝えるメッセージ性に関する政治的な問題でしょうか?それとも、一般的に、個人が意思を表現するべきではないから?他の人も公共の壁に絵を描きたいと思わせたらいけないから?もしあなたが捕まったら、どんな事が起こるんでしょうか?

僕は、同胞や警察と揉め事を起こしたいとは全く思っていないんだ! このイメージで伝えようとしていることは、僕らは皆、檻の中という限界の中に1つの形で収容されてるって事。それは、政治上というよりもむしろもっと個人的で人間の内側の課題だと思ってるんだ。でも、僕の考えがこの国で許容されないというのなら、自分の地理的な問題に十分注意を向けなかったことに悩まなければいけないね。

僕が捕まったとしたら?それは全て、誰が僕を捕らえたかによるし、その時にはまた新しい法律が作られるだろうね。僕を捕らえたその人が、こういう芸術に対してどんな姿勢なのかによるよね。全ては独断によるからさ。

「マインド・コントロール」は、現代ペルシア語で書かれており、大学や公共スペースでのイスラム国の統一を促進するプロパガンダについて言及している。

ステンシルで描かれた「はてな」は、「一体、誰に投票すればいいのか?」というメッセージを訴える。

グラフィティの中で、あなたが「表現しないであろう」何か特定のテーマがありますか?

僕自身としては、特に限度を設定してはいないよ。でも、グラフィティをする事が命に関わるような状況の中で暮らした時、人は、それが命をかけても良いほどの価値があるかどうか考える必要があるよね。

グラフィティは、ここでは真剣に受け止められてないんだ…今はまだね。イランの人々のほとんどは、壁やイメージに対してそれほど注意を向けていないからね。彼らは壁画を、個人的な表現や、独自のメッセージを伝えるための無料の媒体であるっていう風に考えてはいないんだ。

でも、もしイランのグラフィティ・シーンに一歩踏み込んだとしたら、もう確実に「レッド・ラインの反対側」さ…ほとんどの友人とも敵対する。…だからさ、それってそれほど多くのリスクを冒す価値があるのかね?


アブ・グライブ刑務所、モハメッド・ビン・イスマエル・ジャラエン

架空の人物の為に考えられた名前は「誰でも同じ」という意味、モハメッド・ビン・イスマエル・ジャラエン

テヘランのグラフィティ作家たちは、どれくらい彼らのメッセージや問題に関して集まって話したりしてるんでしょう?

2006年以前は、APC近辺で時々会ってたけど、今でも誰かが実際に「会って」話してるかどうかは分からないな…。僕らは大抵、オンラインでチャットするか、もしくはメールで話してるからね。僕のところには、アイデアや好意的な質問、それから新しい作品のイメージなんかを伝えるために毎週メールが届くけど、実際そういう相手に会ったりはしないんだ。多分、将来的にいつかはそうなると思うけど…。

イランの作品を見ると、グラフィティやストリートアートがまだイランでは非常に新しいということが良く分かります。そこにはグラフィティの歴史や根づいた経験も無いですよね。ウースタコレクティブアートクライムスなどのオンラインのストリートアートに関する書庫の膨大なコレクションに刺激を受けてるかと思いますが…スタイルの影響は簡単にたどる事が出来ます。つまり、インスピレーションの源は大抵の場合明白ですからね。でも、既成の作家のテクニックから学びつつ、イランの表現の新しい書式が作り上げられ、そして、異なった設定が元々の意味を変えてもいますよね。

テヘランのあるバス停に貼られた「爆弾チルドレン」

もしまだ「イランのスタイル」について話すことが難しいようなら、他のアラブ諸国におけるグラフィティについてはどうでしょう?何か「アラブ流グラフィティ」のような特別なスタイルがありますか?

僕は、現代ペルシア語で書くようにしてるんだ。だから、イランのタイポグラフィーを使うのが好きだよ。それから、中東に何人か友人がいるよ。Arofishは特に好きな芸術家さ。彼は、レバノン、イラク、パレスチナで活動しているんだけど、現在はロンドンにベースを置いてるよ。

A1oneのペルシアスタイルのグラフィティの一つ。左の「Solh」は平和を意味する 。右の「Tanha」は “A1one”のこと。

もし作品が現代ペルシア語で書かれたものだったり、そこに何か社会的に関係づけられたテーマがあるなら、僕はそれを尊重するよ。「ニューヨークスタイル」や「タギング」はここでは重要でないし、ここでは英語で書かれているというだけでも最初から誤解に繋がると思う。でももちろんそれは僕の個人的な意見だよ。

A1oneの「PEACE(平和)」スタイル初期のひとつは2年後に「ストリート・ラッツ」と呼ばれる集団によって攻撃された。彼らはその上に「WAR(戦争)」と書いたのだ。

タギングや、古い作品の上から重ねて描くといったように、グラフィティの集団の間には、ライバル関係があるのも普通だと思いますが、イランではどんな状況ですか?

それが本当に始まったばかりの頃は、少しはライバル関係みたいなものがあったと思うし、それによって生まれた「ストリートパワー」のイメージから、人々は「ギャング」とかのイメージを持ってしまっているんだ。でも、このまだ生まれたばかりのグラフィティシーンは、攻撃的に歯や爪を見せるよりも、むしろ更なる統一と友情を必要としていると思ってるよ。

それは全て、シーンを巨大にしたいというような願望なんかではなくてさ、ただただ、平和やアートに関するシーンを作り上げたいというだけだよ。スケートボードに乗ったティーンエイジャーは本当の意味で何も出来ず、全てが政府によって制御されるここテヘランでは、「ストリート・パワー」の幻想を抱き続けていても馬鹿げているからね。

僕らは、行動するために、内なるパワーを保護し強化するべきなんだ。僕はこれまで一度も他人の作品に線を引いて消したことは無いし、第一僕の心がそれを許すわけは無いよ。

APCエリアに隠された、テヘランでの初期の作品の一つ。この段階では、まだ未完成だった。

グラフィティと地元の音楽シーンとで何か重なる部分ってありますか?アラブのトリップホップとか?

それについては答えることが出来ないよ。こと音楽となると、人にはそれぞれ趣味があるからね。僕個人で言えば、インディペンデントものが好きだけど。

もっとも、ペルシアのトリップ・ホップとグラフィティの間に関係があるようには思えないよ。イランのトリップ・ホップ・バンドで唯一知られてるのはミュート・エイジェンシーぐらいだけど、彼らはグラフィティが何なのかすら知らなかったよ。僕は彼らの音楽が凄く好きだけどさ!彼らは、「ペルシアの旋律」で世界の楽器を使う良いアプローチ法を持ってるんだ。

テヘランでのイベントについてはどうですか?問題とかはありますか?規則などはあるんでしょうか?

規則は無いよ。もし「受け入れられない」何かを言ったり、したりした場合、周りの人みんなでその人を黙らせようとするはずで、捕まりたくなければ黙って1週間隠れた方がいいというだけ。もし表立ってリスペクトされたり名声を得たいなら、大きいギャラリーに行くことなんだけど、そこでは「社会にショックを与える」権利は全く無くて、安全策をとり静かにしていなければならないというわけさ。

テヘランでアートが解禁になっている歩道「カルチュラル・サイド・ウォーク」を侵略し始める蜘蛛。

自らを打ち抜くA1one

どこでイベントを開くんですか?それから、そこで何をするんでしょう?

健康にいいから、オレンジジュースや牛乳を飲むんだよ!(冗談だよ!)

僕はパーティー好きではないんだ。暗いし孤独過ぎるよ。共有した思い出について話しをする何人かの友達がいるのと、マゴイが毎月訪問するくらい。でも最近、この地獄から抜け出すことを計画しているんだ!僕の2007年の抱負は、予算が許すのであれば他の国に旅行することなんだよ。

現代イラン芸術の今ってどんな風ですか?

劇場は、若い芸術家から巨匠まで含めてとても活動的だよ。絵画、彫刻、ニューメディア、ビデオアート…なぜかタトゥーアート、その他もろもろ!この国ではもう5年間も大きな国家の絵展示会を開いていなかったんだけど、実は今ちょうど第4回イスラム世界の国際ペインティング・ビエンナーレを開催しているところなんだ!でも、博物館と大きいギャラリーは未だ全てが政府の手にあるよ…。公式に受け入れられた芸術家たちは、出版し、展示会に出品し、自由に露出して、有名になっていく。そして残された他のアーティストたちは皆、静かな叫びと共に、独自に彼らの芸術を追い求めて行くんだ。秘密と恐怖の中でね。

「Every crack can cry」

コミュニケーションをとるのはなかなか難しかったのですが、質問に答えてくれてありがとうございます!他にも何か伝えたい事がありますか?

そうだな…イラングラフィティー・ウェブサイトはちょうど見れなくなっちゃったんだ…。最近イラン政府はインターネットとブログに注目してて、合法、違法について、新しい法律を幾つか作ったんだよ。既にインターネットの内容制限をしてるし、アクセスする事に関しても制限を設けたんだ。これからは、イランの全てのウェブ内容をフィルターにかけたがっているのさ。だから、僕とカナダ出身の友人たちは、今Artinprison.wordpress.comにコンテンツを全て移動しているところなんだ。それからblogspotでも他の作品を発表してる。そこなら安全だと思うし、これからは、インターネットカフェからブログすることに執着するつもりさ。

もし、もっと他にイランでどんな事が起こってるか知りたいのなら、YouTubeでは幾つか映画が見られるし、このPDFでも、イランのグラフィティについての概観や、少なくとも僕らの作品のサンプルを見ることが出来るよ。今回はどうもありがとう。

イランの人々に平和を!

4 コメント

  1. 蜘蛛の絵良いですね

    Posted by: allen @ 1月20日2007年

  2. Posted by: ray @ 1月22日2007年

  3. Banksyっぽいですね。
    イランについてもっとしりたいです。

    Posted by: 匿名 @ 12月20日2007年

  4. A1one: イラン・グラフィティ第一世代 good post1114

    Posted by: air multiplier @ 4月21日2012年

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