カブール事情:爆弾ではなく芸術をアフガニスタンに

2006年11月16日 カテゴリー: インターナショナル, 建築, 民芸・工芸, 特集, 環境・福祉デザイン

カブール事情:爆弾ではなく芸術をアフガニスタンに

アフガニスタンへ建築パフォーマンスを繰り広げに行く途中のプエルトリコ人、ルイス・ベリオス・ネグロン(Photo by Massoud Hosseini)

テレビばかり見ている皆さんのために、本日はかなり冒険的なお話を。プエルトリコ人、ルイス・ベリオス・ネグロンは、建築を学んだマサチューセッツ工科大学(MIT)を今年卒業した後、カブールに渡り、アフガニスタンの美術生相手にワークショップを行った。その際にロシアの占領下で建設されたまま使われていない巨大な水泳プールと緑の布で、建築パフォーマンスを繰り広げた。爆弾テロや諸外国の駐留軍などの悲しいニュースが流れる時にだけ耳にする国・アフガニスタンの、カブールの町の真ん中の丘の上で、彼がしたこととは?そのカブールでは、2005年にアフガニスタン現代美術センター(CCAA)を設立したビデオ・パフォーマンスの専門家、ララ・オマザ率いる何人もの新進気鋭の芸術家たちが活動していた。

作:ベレーナ
訳:山根夏実

ベルリン在住のルイス・ペリオス・ネグロンさんに、そもそもどんな経緯でカブールに行くことになったのかを聞いてきた。

カブール。砲撃の痕で穴だらけの日常。写真:Massoud Hosseini

朽ちゆく街の景観-劇場跡。写真:ルイス

ルイスさん、貴方がネット上に掲載していらっしゃる写真旅行記、カブール事情を見ましたが、とても強烈な体験だったようですね。貴方にこの大胆な旅を勧められたのは、マサチューセッツ工科大学の学芸員兼講師だったウタ・メタ・バワさんで、イスラム文化のためのイマームカーンプログラムの協力を得て、ようやくカブールのアフガニスタン現代美術センターが、一ヶ月ほどのワークショップの為に貴方を招待してくれたそうですね。アフガニスタンと聞けば、私にはかなり危険なイメージがあるのですが、恐いと思うことは一度もなかったのですか?

私もアフガニスタンには初めて行きました。そして、ええ…特に最初の夜がかなり強烈でした。私が泊まっていた建物の3軒隣に迫撃砲が2発打ち込まれたのです。あと、私が行った時期がデンマークの風刺画事件からたったの2週間後だったので、お世辞にも良いタイミングとは言えない状況で、どんなことになるのか自分でもさっぱり分かりませんでした。それに加えて、私が到着してから最初の1時間は、完全に一人きりの状態でかなり恐かったのですが、その後の滞在期間中はCCAAの方々がよく面倒を見てくれました。

町の中心地にあるこの巨大な水泳プールはロシア人の手によって作られたもの。おかしなことに、この施設は一度も使われることのないまま…

…ルイスが建築パフォーマンスを行って、この場所に全く新しい意味を与えるに至る。写真:Massoud Hosseini

では、次は貴方の建築パフォーマンスについて聞かせて下さい。一体どんなことをなさったのですか?

私が町を歩き回った時に、ロシアの占領下で作られたこのプールが目に留まりました。ロシアは、このプールの隣に政府広報用の巨大な看板も作ったのですが、面白いことにプールの方は一度も使われなかったのです。ロシアの占領の方も上手くいかず、やがて、タリバンが政権を取るに至りました。タリバン政権では、スタジアムでの公開処刑や石投げの刑だけでなく、この使われていない水泳プールで、秘密裏に政治家や知識層の処刑も行っていました。この看板は町の中心の丘の上にあるので、ハリウッドのサインのようにカブールのどこからでも目にすることができます。でも奇妙なことに、カブールの町中では沢山の看板が林立しているのに、この看板だけは何年も廃れたままなんですよね。

私は、プールをパフォーマンスの空間としてだけではなく、比喩的な意味で新しい体積として作り変えられるのではないか…パフォーマンスを通じてこのプールの存在の意味を変化させられるのではないかと思ったのです。この場所には、人間の気持ちの最も醜いものが溢れていましたから…言うなれば、感情的な治療で洗い流すように。私は学生が自分たちの存在の意味を変化させて、この町での自分たちの役目をもう一度定義し直せるのではないかと思ったのです。

学生の何名かが布を持って丘を上がる。写真:Massoud Hosseini

深く空っぽなプールに飛び降りる。中では、学生の一人一人が布に結わえる石を拾う。写真:Massoud Hosseini

では、貴方は美術生と一緒に緑の巨大な布を持ってプールに行って、布を広げて石を括りつけて、看板の反対側に石を投げることで看板を布で覆ったと。市民は貴方のこの行動に本当に驚いたでしょうね…。

次のステップ:プール全体に布を広げる。写真:Massoud Hosseini

太陽が昇って空間が光で溢れると、全員が驚きに立ち尽くす。写真:Massoud Hosseini

そして、学生が布に括りつけられた石を投げて、巨大な看板を完全に覆い隠す。写真:Massoud Hosseini

ええ、学生も最初は「この頭のおかしい人は何を言っているの?」と感じたと思います。でも、太陽が昇った時、布の表面が光輝いた瞬間があって、皆が沸き立ちました。その瞬間から、全員がパフォーマンスの意図を理解し始めたと思います。そのあと、学生はプールの中で石を拾い集めて。もうお分かりとは思いますが、この石は女性を殺すのにも使われたものです。それを、今度は私達が布で看板を覆うための道具に変化させる。そのために、看板の向こうに石を投げました。

何の変哲もない石かもしれないけれど、アフガニスタンではこのような石にも沢山の歴史と重みが詰まっている…。写真:Massoud Hosseini

緑が布でなければならなかった理由は?イスラム教では、この色に何か象徴的な意味があるのでしょうか?

プエルトリコでは緑は希望の色ですが、アフガニスタンでは具体的に再生を象徴する色とされています。この一枚の巨大な布には、一文字も書かれていないし、宣伝やマークがあるわけでもない。だけど、簡潔に希望を表現しています。カブールでは町中に車や洋服を宣伝する看板が溢れていましたが、住んでいる人々は何とか食べることができている状態です。そもそも、そんな状況で宣伝を出す企業こそが恥ずべきだと心の底から思いました。

看板全体を覆うように布を引き上げる。写真:Massoud Hosseini

宣伝や商売のためではなく、私達は芸術のためにこの巨大な看板を使いました。

この緑の看板は、今やカブールのどこからでも見ることができる。写真:Massoud Hosseini

率直な質問で申し訳ないのですが、どうしてもお伺いしたくて。他のどこでもなく、カブールに芸術をもたらそうと思ったのは何故ですか?

カブールに着くまでは、アートプロジェクトを行うためではなく、あちらの人々から何かを学ぶために行くつもりでした。プエルトリコ人として、私はアメリカ国籍を持っているので、アメリカのしたことに責任を感じてもいましたから。だから、何故私たちが上手に国際的なコミュニケーションを取れないでいるのかを直接学べば、何らかの形で貢献できるかもしれないと思ったのです。でも今となっては、この文化の不一致と言われる悲しい状況は、メディアが演出したものであって、ありもしないでまかせだということが明らかになったと思います。

学生にパフォーマンスの説明をするルイス。写真:Massoud Hosseini

私たちがテレビで見る映像とカブールでの現実の生活では、実際にはどれくらいが一致していると思われますか?

勿論、メディアが報道するのは武力衝突の瞬間だけです。これだけ諸外国の軍が駐屯しているにも関わらず、住民のコミュニティに関与している人はいません。安全上の問題を恐れて外出しないのです。ですから、学生と一緒にカブールの市内を歩いていても、軍の輸送車が急いで通過していくのをたまに見かけるだけでした。

放棄された戦車や軍用品が散乱する町並み。写真:ルイス

アフガニスタンの文化の多様さについて、もう少し話して下さいますか?

アフガニスタンには17の言語があって、その内の2つ、ダリ語とパシュトウ語が一般的に使われている言葉です。イスラム教に関して言えば、幾通りものコーランの解釈を巡って分裂した状態で、未だに部族的な慣習が根強く残っている環境ですね。そして、アフガニスタンは農業国ということになっていますが、アヘンの収穫が非常に大きな問題でしょう。何しろ、コーヒーなどの他の作物と同列に扱われて収穫されているのです。でも、農民は酷い人たちと交渉しなければなりません。

つぎはぎだらけの家の隣に新築のお洒落な建物が…。でも、そんな余裕のある人がどこに居るというのか。写真:ルイス

では、貴方は総じてあのパフォーマンスで、ある種の「雰囲気」を呼び起こそうとしたのですね。以前のプロジェクトで、貴方が津波被災者のために津波安全家屋を設計してみせたように。この津波安全家屋の特異的構造は、高度技術を駆使したデザインに反して、コストを抑えるためにも非常に原始的な材料で作られているということですか?

津波安全家屋。災害に見舞われた人々に屋根を与えるだけでなく、希望をも取り戻させる。

その通りです。津波安全家屋は、MITセンセーブル・シティ・ラボラトリーとハーバード大学からのグループがコラボレーションした企画で、今私たちがこうして話している間にも、この家はプラーチノパヤ財団の手によってスリランカで建設されています。この津波安全家屋の目的は、むしろ精神的支柱のようなものでした。勿論、家の中に居る時に津波が来れば、家の崩壊と同時に死亡する確率が高いでしょうが、代わりに所有物は一ヶ所に留まっていると思います。特に、政府が海岸沿いに暮らす住民を全員5マイルは内陸に移したいと言うようでは…。だからこの家のデザインは、残りたいという人々への解決法を与えたいという一種の都会派の主張だったのです。

ルイスさん、非常に感銘を受けるお話をありがとうございます。アートと建築を組み合わせて、技術知識に裏打ちされた解決法を探すと同時に、発展途上国が直面する問題もきちんと念頭に置かれる姿勢を尊敬します。ありがとうございました!

3 コメント

  1. ルイスさんのすばらしい活動に感銘しました。クリエイションの根源は生きる希望なんだということをあらためて感じいります。すばらしいインタビューだと思います。

    Posted by: tori @ 11月20日2006年

  2. 今、ルイスさんと同じ事務所にいて、彼から、このウェップサイトを教えてもらいました!すごーい。こんなことしているなんて。人数が多く、人の出入りも激しいところなので、いちいち誰が何をしているか分からないものです。彼の活躍を日本語で読めたのも嬉しいこと。すげー。と一言オンリー。彼に声をかけました。なんとも言葉にもならない。

    Posted by: eri @ 11月21日2006年

  3. カブール事情:爆弾ではなく芸術をアフガニスタンに good post1082

    Posted by: air multiplier @ 4月21日2012年

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