
ゴズィ・オチョノゴさんと遭遇したのは、先日東京で進行中の面白いことをチェックしようと、ぺちゃくちゃないとの為にまたもやスーパー・デラックスを訪れた時のこと。この非常にエネルギッシュな女性のコレクションに見られるエレガントな冷静さと、ジョセフィン・ベーカーへの情熱は本当にすごい。今回は、彼女のデザインがいかにして史上初の完全に無名のデザイナーとして、パリのファッション・ウィークまで漕ぎ着けたか、そして彼女が何故東京に住むことにしたのかを語ってもらった。
作:ウレシカ
訳:山根夏実
ゴズィさん、申し訳ないのですが、私の中ではナイジェリア人の有名なデザイナーが一人も浮かんで来ませんが…?
残念なことに、私も同じです。そしてそれが、私が理工学の修士課程を修了してからファッションの道に入りたいと言った時に、両親が猛反対した理由の一つでもあります。両親は私を技術者にするために、私が20歳くらいの時に留学生としてロンドンのインペリアル・カレッジに行かせてくれました。ナイジェリアでは、頭の良い子は皆この道を…技術か法律を選ぶのです(笑)。
ナイジェリア人で、両親の期待に沿うような人が居なかったので、説得はかなり難しかったです。

エレガントなストリートウェアはゴズィの初期の作品

同じくゴズィの初期の作品
どういう経緯で情報学者からファッション・デザイナーになられたのですか?
私は、いつも自分が着たいもののイメージをはっきりと持っている人間なので、お店で見るファッションに不満を持っていたところから始まりました。だから、自分で自分のスカートを作ってみて、そっちの方が自分に合っていると思ったんです。それからアンソニー・レノーズ・ギャラリーで仕事を見つけて、経験を得る為に他のデザイナーの作業を手伝ったりもして、そのまま全てが丸く収まっていると思えたので、ずっと続けてきました。

結構長い間、作ったものをロンドンのポートベロ・マーケットとスピタルフィールド・マーケットで売りましたね。人々は私の物が本当に安いと思ってくれたようで、すごい勢いで買ってくれました。だから毎日少しずつ値段を上げていったのですが、それでもまだ買ってくれたんですよ(笑)。いつも撮影の為に私の服を借りたがる人もいて、こういう型破りなやり方ではあったけれど、ゆっくりと自信をつけることが出来ました。

ポートフォリオをめくるゴズィ
ファッションはかなりキツイ市場ですよね。業界への最初の一歩が難しかったと思いますが…?
まあ、私の選んだ手段が手段でしたので、いつも半信半疑ではありましたが、幸いにいつも何かしら良いことに恵まれて、物事はゆっくりではあるけれど確実に前進して行きました。どこかに繋ぎを付ける必要がある時は、いつも私の学歴が物を言って、頭の良い子に違いない!と思ってもらえたので、技術者としての学位も何らかの役には立ちましたよ(笑)。
スーパー・デラックスで触れていた、パリのファッション・ウィークでのお話を聞かせてください。全く「無名の」デザイナーとして、どうやって参加に成功したのですか?
振り返ってみると、私達(私と私の小さなチーム)がどれだけ世間知らずだったかを実感してしまって滑稽なのですが、二つのことが幸いしたのだと思います。一つは良いファッションを作れたこと、そしてもう一つは、質問するのをためらわなかったこと。質問をしなければ事態は何も動かないし、最悪でも「駄目」と言われるだけですから。女王陛下に「一晩お部屋に泊めて下さいますか?」と言ってみたとしても、「駄目」って言われるだけでしょう!
私がファッション・ウィークの担当者の女性に何度も電話したので、彼女も最後には「本当にしつこい娘ね!」と言って枠を作ってくれました!
パリ・ファッション・ウィークでの貴方のコレクションのテーマは、ジョセフィン・ベーカーに触発されたものだそうですね。それはどうして?
最初に私が「大きな劇場でダンサーも入れてジョセフィン・ベーカーのショーをする」と言った時、皆が笑ったのをよく覚えてます!未だに、なぜ私の中に彼女のイメージが生まれたのかは分かりませんが、 そのまま強行したんです。そのあと、フランスの方々は皆ジョセフィン・ベーカーが大好きだということが判明して、沢山の応援や援助を頂きました。スワロフスキが私のメインの衣装のスポンサーになって下さって、パーク・ハイアットも支援して下さいました…。それから、エリクソン・アンド・ビーモン、ロンドン基盤の宝飾メーカーに連絡をしたら、奇遇にも彼らのコレクションもジョセフィンがテーマだったので協力して貰って、私のショーの為にも何点か作って頂いたのです。

スワロフスキが付いたコスチュームを着るダンサー。パリのファッション・ショーで。

コスチュームの詳細。(よく見ると小さいバナナがついている)
パリのファッション・ショーで衣装がキラキラと光るところが見たい方は、コチラ から。
反応はいかがでしたか?
私のショーを見た方からは、いくつかの素晴らしい感想を頂きましたし、何人かの素敵な方々にショーを見てもらえました。「セルフリッジ」や、「ハーヴェイ・ニコルズ」…皆私の作品を欲しがりましたが、同時に高すぎるとも言われました。全くの無名のゴズィの200ポンド(4万5千円)のスカートを買える余裕がある人なら、もう少しお値段が張ってももっと有名なデザイナーの服を買うだろうって。作品は全部ロンドンで制作したから、それもあってこれ以上値段を下げられなかったんですよ!

コレクションより。ゴズィのデザインは、ジョセフィンがよく着用していたドレスに関係している。

同じくコレクションより。

スワロフスキのクリスタルが付いた衣装をまとうダンサー。パリのファッション・ショーで。

衣装のディテール(またも小さなバナナが…)
その後どうなって、結局どういった理由で東京にたどり着いたのでしょうか?
私は色々と考え直して、制作の為にナイジェリアに戻ろうかとも考えました。請求書や借りていたお金の支払いを全部して、最後にもう一つだけ小さなコレクションを作ったのですが、その時だったんです!

その時に何が?
突然に、自分が昔日本に住みたいと思っていたことを思い出しました。誰かが私のナイジェリア国籍が問題になるだろうと指摘した時にはもう日本語の授業も受け始めていて、その時は希望も潰えたと思いました。でも私は、「イギリス国籍を取得したら、すぐにでも日本に住むんだ!」と言って、今はご覧の通りです!
でも、本当に不思議な事は、初めて日本に到着した時に、まるで故郷に帰ってきたような感じがしたんですよ!
では、今後のご予定は?それから、日本にはいつまで住み続けるお考えですか?

PingMagのオフィスの近くまで来てくれたゴズィ
日本にはまだ長いこと居たいような気がしますし、その気分に従おうと思ってます。今、良い風が吹いていて、もう一度スタートが切れると思いますね。今度は中国に近いから制作費を抑えることも出来ますし、毎日新しいインスピレーションを得ています。
今のところは、東京近辺でパタンナーの仕事をやっていますが、ここで小さなデニムのレーベルを立ち上げようと思ってます。所謂ジーンズとかではなくて、予定では、それ以上のスタイリングは一切不要なくらいにカッコよくて迫力のある作品を!カジュアルでカッコいいストリートウェアみたいな、だけど面白いラインがあって、優雅で、セクシーで、着やすいもの。今日、私が着ているような感じのものですね。そこに自分を見出しています。
Goziさん、本当にありがとうございました!新しいレーベル設立頑張ってください!!
2 コメント
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すごすぎ!!ちょうカッコイイ!!
Posted by: 匿名 @ 6月18日2007年
ゴズィ:東京発のナイジェリアン・ファッション good post1066
Posted by: air multiplier @ 4月21日2012年