
1992年に、次世代の日本の若者の象徴として、バブルガムと西洋のポップカルチャーへの憧れを膨らませる若い芸者姿で「The Face」誌の表紙を飾った花代をご存知の方もいるのではないだろうか。彼女の経歴は、前衛的な芸術家や音楽家との共演や、彼女の生きる活力に根差した音楽やパフォーマンス、写真、アートなどの多岐に亘る作品との繋がりを求める、ヨーロッパの有名ファッションブランドが散りばめられた多彩なものだ。
作:マイケル・シタール
訳:山根夏実
音楽方面では、花代の甘やかな歌声や試みは、秋田昌美(メルツバウ)、中原昌也(暴力温泉芸者)とのバンドや、ディジー・Q ・ヴァイパー(デイジー・チェインソー)との別のバンド活動、ドラムアンドベースの大家パナセアとのアルバムリリースなど、数え切れないコラボやコンサートなどで活躍している他、ソロ・アルバムにはジャンルに囚われない作品が大量に収録されている。特にここ数年では、ゴルチェやアニエス b、マリー・クレール、ロエベ、APCなどの複数の有名ブランドが次々と花代とのコネクションを希望している。それに加えて、彼女のパフォーマンスや写真は、東京、ベルリン、ロンドン、パリ、モスクワ、香港、ニューヨーク、ウィーン、台北など、正に世界中で注目を集めてきた。

先日、その花代が森美術館で行われたロエベの160周年記念展示会「Take me with you」のために来日していたのを機に、今回出展した作品や現在の活動、今に至った理由などをご本人に聞いてみた。
カラオケ…そして東京からベルリンに飛躍する方法
今回花代と話したのは、友人、学芸員や写真家などの多彩な人々が集るカラオケの席。花代の音楽を聴いたことのある身としては、非公式の場でお近づきになれる最高の機会だった!

カラオケでは、花代は久し振りの日本文化にどっぷりと浸かり、主には邦楽、気の向いた時には演歌や洋楽なども交えたレパートリーを聴かせてくれた。彼女の歌声は未だに頭の中で回っている…。それでは、以下会話…。
花代さんは、一時芸者として過ごされたそうですが、その経緯はどんなものなのでしょうか?
まだ私がとても若かった頃、モデルの仕事の関係で頻繁にパリやベルリンやアメリカに行っていたのですが、ベルリンの壁が崩れた時に私も市内に滞在していて、あの瞬間に強く影響されました。その光景を見ながら、ドイツの歴史上でなんて強力な出来事なんだろうと考えていて…じゃあ、「私自身」の歴史はどうなんだろう?と思ったんです。
そして、日本に戻ってすぐに芸者になることを決めました。
この頃には既にいくつかのバンドで活動されていたと思いますが、どうやって芸者としての新しい生活と折り合いを付けられたのでしょうか?
芸者の世界は密やかであるべきなので、実は結構難しかったです。政治家なんかも「会食」に来ますし、守らなければいけない秘密が沢山ありますから、秘められた世界でなければいけなくて。外の世界と繋がることで良いことなんて一つもないですね。
この伝統的な世界で、私はとても美しい生活を送りました。今でもあの世界を心から尊敬していますが、それでも当時は「The Face」誌のカバーのようなこともしました…。あの頃は、沢山の人々が「花代=歯の欠けた若い日本人、変わったノイズ帯域で活動しているけど、昼の間は伝統的」という見方をしたと思います。それはとても魅力的でした。
私は芸者の世界を楽しみつつも真剣に学んで、全てにおいて全力を出したいと思っていました。

それでは、いつ、そしてどういった理由で日本を離れ、同時に芸者の世界も去ることになる決断をされたのですか?
私は芸者としての生活が大好きで、続けたいとも思ったのですが、丁度良いタイミングだと感じたんです。あの当時はテレビ出演が多くて、沢山の人に芸者の衣装で来て欲しいと言われていましたが、もしそのまま続けていたら「芸者タレント」か「芸者アーティスト」みたいなものになってしまうだろうと自分自身感じていました。でも芸者の世界を深く尊敬しているだけに、私はそうはしたくなかった。だから、終わりにしようと思ったんです。お終りにして、結婚して次の段階に!
当時のもう一つの問題は、あまりにも密な世界であるだけに、私のすることに友達を呼ぶことができなかったことです。その反面で、私も友達のイベントに参加することができませんでしたけど。コンサートも、開会式も、パーティーも、全部私には仕事中の時間だったので…。
どのようにして、そんなに上手く拠点とする国を変えることができたのですか?また、そこからどちらに行かれたのでしょうか?
全部自然にまとまったんですよ!私はロンドンでレコード契約の話を頂いて、ドイツ人と結婚した関係で海外でも働くことができました。同じ時期に妊娠していることも分かったので、実に良いタイミングでした。
振り返ってみると、全てが偶然でしたが良いことばかりでした。もし東京に残っていたら、私はもっと忙しかったと思いますし、娘の点子も私の両親と過ごす時間が多くなって、今のような関係は築けなかったでしょう。ロンドンとベルリンでの生活では、100%の時間を娘と過ごすことができました。特に、ベルリンは幼い子供と若い母親には素晴らしい街ですしね。残念ながら、東京はそうではないので…。

…ロンドンでのレコード契約の後、花代は現在までの7年間をベルリンを拠点に活動している。
今現在、ベルリンではどのようなプロジェクトを進めていらっしゃるのでしょうか?
今は写真をやりながら、このロエベの展示会のようなイベントに参加しています。でも実際には、色んなプロジェクトをいくつも進めていたりします。
その中の一つが「Ponpons」というもので、舞踊と音楽要素を持つインスタレーションと言えないこともない、アートのパフォーマンス・グループみたいなものです。
それから、私とイザーク(Isaac Bigsby Trogdon)でインスタレーションも作ったし、「Hanazac」という名前で一緒に音楽もやってます。


パフォーマンスの準備をする「Ponpons」

「Hanazac」フライヤー
パナセアと一緒に仕事をしたのは、何がきっかけだったのですか?あのアルバムは、かなりヒットしましたが。
彼とは「Hanayo in Panacea」を一緒に出して、その結果に自分でも驚きました!当時パナセアはまだ18歳かそこらで、自宅にスタジオを持っていたのですが、かなりアングラな人気のある方だと思っていたので、あんなに大事になるとは思ってもみませんでした。普通にスタジオ入りして、レコーディングをしたと思ったら突然に世界中のクラブでかかるようになってました(笑) 。

アルバム「Hanayo in Panacea」のカバー
では、今はもうベルリンを拠点として、音楽をされているという感じですか?
いいえ、私の生活の中では何もかもが入り混じっています。あの最新のインスタレーションみたいに!写真だけじゃなく、動画もインスタレーションもやって、それに加えて物作りもする…。「一つ」だけに限定されるものなんてないんです。東京やベルリンを見る目ですらそうですが、私に取っては…離れた二つの別々の都市というよりは、二つが一緒に混じったものに感じられますね。
私は、ベルリンでも東京でも、世界中のどこでも作業ができるわけですから、ベルリンだけが拠点だとは考えたくないのです。最近ではベルリン が点子の学校に関して重みを持つようになりましたが、それだけです。私の場合、パリだったり東京だったり、どこでもです!
写真や選び方について
花代はその他にも「お酌ちゃんNo.1」、「ハナヨメ」、「ドリームムムムム…ブック」や「Hanayo」など、数冊の写真集も出しており、その制作の過程について質問してみた。

貴方の写真の最近のテーマについて聞かせてください。
最近では雲の写真を選ぶことが多いです。単に新しい写真から選んでいるわけではなく、過去20年分の私の作品の中から選んでいます。私の色の好みはいつも変わるので、かなり「ピンクの時期」やもう少し「緑の時期」みたいになります。今は「色なし」のような期間ですね。

5年前には全然魅力的だと思わなかった写真もありますが、今では振り返ってみると良い写真だと思ってます。

どれを選べばいいのか、迷うことなんかはありますか?
ええ、写真を選ぶというのは本当に面倒な作業なんですよ、悪夢ですね。85年以来スナップを撮り続けてきましたから、あまりにも量が多すぎて。ある意味、どれもみんなスナップショットのようなものですが、勿論それ以上でもあるわけです!
学芸員やデザイナーの方が私に写真を選んでもらいに来る時は、毎回「多すぎは気にしなくていいですよ!選ぶのが私達の仕事ですから何とかしますので!」と言われるんですが、しばらくすると「一時期のものだけに絞りましょうか!」って言われるんです。(笑)

お嬢さんの点子ちゃんを撮られた写真には特別な雰囲気がありますが、お嬢さんが大きくなるまで、ずっとこのシリーズを続けていかれるおつもりですか?
勿論、一人の子供とこれだけ密接にいられるプロの写真家は稀です。多分、親でなければ無理なんじゃないかと思います。私は沢山の点子の写真を撮りますし、このギャラリー(ギャラリー小柳、銀座)は主に点子の写真ばかりを売っていますが、黄金期は確実に過ぎたと思いますね。点子はもうあまり写真を撮らせてはくれなくて、プロのモデルとしての仕事の方が好きなようです。

雲のハンドバッグ
今回はロエベの160周年記念展示会に作品を出展するために東京に来たそうですが、作品についてと、このスペインのバッグ会社の展示会に参加することになった経緯などを聞かせてください。
ロエベは伝統的なバッグ職人の会社なので、バッグに関連した何かを希望されました。出展されたアーティストの作品のいくつかは、バッグとの繋がりが非常に分かりやすい形で表現されたものでしたが、私の作品のようにとても抽象的なものもありました。
先ほど申し上げたように、今は雲に凝っている時期なので、テーマをそれにしてそこから全体をまとめた感じです。

ロエベの展覧会「Flying Bag」で展示された花代のスケッチ © Hanayo

映像作品「Flying Bag」より © Hanayo
この作品は、人々が雲の上のインスタレーションの中に歩み入って雲の写真や動画を見るといった点で非常にインタラクティブなものですが、その意図はどんなものなのでしょうか?
最初は、雲の上を歩くべきではないとも思ったのですが、中に入らなければ写真や動画がよく見えなかったのです。最終的には、それが作品のかなり大切な部分となりました。
この展示会は既にバルセロナで公開されたものですが、あちらでの私の展示はかなり違ったものでした。作品の輸送中に部品の一部が壊れてしまったので、最後の最後に修理をしなければいけなくなって。額縁のうちの一つはアンティークだったのですが、これが輸送中にボロボロに壊れてしまって修理が間に合いませんでした。結局は壊れた額縁のまま展示したのですが、これがかなり面白い結果になりました。
東京での展示は私が元々計画していたものに近いですが、実はどっちのバージョンも気に入っていたりします。どちらにも面白い特徴があるんですよ。
花代さん、ありがとうございました!
5 コメント
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花代ちゃん、こんにちは。
このinterviewで花代ちゃんの素直な思いと、思想をよく知る事ができてすごく嬉しいです。
かわいくて、クレイジーな女の子という印象でしたが、
これからは、尊敬の意を込めて花代さんと呼びたいです。
雲のハンドバッグ、素敵!!!
Posted by: yuko @ 10月27日2006年
what the fuck are you talking about .. ?
Posted by: joe @ 9月25日2007年
今、記事を読みました。まっ赤なしずく・の頃、衝撃を受けて、日本と私を感じるようになりました。最近の活動は知らなかったので、知れてよかったです。私もいつも空を見ます。いつか個展に行きたいです。
Posted by: イダ ショウコ @ 11月30日2007年
花代のARTIST Bookに衝撃的出会いをした中学生から約4年…こんなに最近(とはいっても3年前)の記事に出会えてよかった
益々彼女に会いたくなった
解らないけどずっと不思議な魅力に惹かれ続けている
Posted by: Σ* @ 8月28日2009年
花代:カラオケ、写真、そしてハンドバッグ good post1063
Posted by: air multiplier @ 4月21日2012年