ポップアートとプロパガンダ: 中国のポスターとワン・ガンギ

2006年6月29日 カテゴリー: イラストレーション, グラフィック, 特集

ポップアートとプロパガンダ: 中国のポスターとワン・ガンギ

ワン・ガンギ「偉大なる批評:Time」2002(120cm x 200cm)

新資本主義の時代へとひた走る、かの国において、毛沢東書記長の共産主義の残したものとはいったい何なのだろう?それは現代中国美術とデザインにどのような影響を及ぼしたのだろうか?渋谷のギャラリーTOMで中国プロパガンダポスター展に行って以来、こうした疑問が頭から離れなかった。1950年代から1980年代にかけて作成されたポスターの印象は、あまりにも強烈である。人々は銃と赤旗を頭上で振り回し、行進し、敬礼し、胸を張っている。ここにはっきりと共産国家建設が進んでいく様が描かれているのがみえる!

作:アシュレイ・ローリングス
訳:ミエ
プロパガンダポスターの提供元: Maopost

歴史的価値もさることながら、それらポスターデザインの影響力はまだ失せてはいない。展示されたポスターはすべて個人のコレクションであるが、個人の手に渡ったからと言って、完全に歴史の中で忘れられた存在になってしまったというわけではない。この展示を見て、すぐに中国現代アーチストのワン・ガンギを思い出した。ワンの作品にはこうしたポスターデザインの影響が色濃く見られる。そういう理由でここで両者を比べてみることにした。


作者不明「警戒中、来るべき戦いに備え、全ての武器を確認せよ」(1966年)

ワン・ガンギ「偉大なる批評 ディズニー」1999 (200cm x 200cm)

くっきりとした輪郭線が黄色の前景と赤の後景を分かつ。労働に励む労働者たちが両腕を天に差出す。決意に燃えたその顔を見よ。彼らは大いなる理想のためにその身をささげるつもりなのだ…よね?えーっと、右と左どちらの作品の話をしていたんだっけ?ワン・ガンギの作品では、労働者は欧米デザイナーの名前とブランドロゴに囲まれている…。コカコーラ、ボルボ、ディズニー、シャネル、マルボロ、コダック、タイム誌、カールスバーグ・ビール。これが現代中国の求めるものなのか?

では文化大革命の歴史とワン・ガンギの「偉大なる批評」シリーズはどこで結びつくのだろうか? ワンは1957年に生まれた。毛主席が、中国の農業・工業生産を西側の生産レベルまで押し上げよう と「大躍進政策」(1958-1962)の開始を宣言するちょうど前の年だ。中国内、外を問わず、この大躍進政策は大失敗だとされている毛のこの政策はその後に続く(これも毛が計画した)「文化大革命」(1966–1976)へと社会主義革命を力づける意味もあった。ワン・ガンギはこの二つのプロパガンダポスター全盛期時代に育った。

ギャラリーTOMでの展示

作者不明「毛主席は我らの心に燃ゆる太陽」 (1975頃)

こうしたポスター・キャンペーンは毛へのカルト的な崇拝を作り出す目的があった。ギャラリーTOM の展示で最初に気づくのは、そこかしこに遍在する彼の姿だ。工場を訪れたり労働者や農民と話したりする、人民のために尽力する尊いお方毛主席は、いつも赤か暖色系に彩られている。太陽からすでに光が放たれていないのなら、毛主席のそのお顔から光が放たれるようだ!

ギャラリーTOMにおける毛沢東バッジの展示

中国共産党は人民共和国の建設前の段階から、国内で最高のアーチストとデザイナーを使ってプロパガンダポスターを作り、その戦略は長きにわたり成果をあげた。ポスターは低予算で簡単に作れるし、当時著しく識字率が低かった中国において、抽象概念を強烈な形で視覚化することは非常に効果的だったのだ。人々は地味な生活環境を彩るポスターを歓迎し、家の中そして職場や新聞・雑誌のへとそれらのポスターは広まっていった。

作者不明「荒野での野営で革命の心を培う」(1971)

毛が死去し、共産党が文化大革命の終焉を宣言して4年後の1980年、ワン・ガンギは美術学校に入学した。鄧小平が西側に門戸を開放し、市場改革を行ったおかげで、国民生活の質は次第に改善されて行った。この新たな現実を前に、プロパガンダポスターのデザインにも変化が生じた。ポスターの中身はもはや軍国主義的な描かれ方は次第に消え、教育や衛生といったテーマが選ばれるようになった。


作者不明「食料衛生に注意し、健康増進を図ろう」(1981)

作者不明「良質な製品を供給すことで、心底人民に奉仕する」(1978)

その後デザインは西側の広告に似てくる。ポスターの色合いは柔らかくなり、人物、ことに女性を描く線は優しいタッチのものとなった。西洋風な洋服を着、髪型をした人々が次第に多く描かれるようになった。こうしたポスターやスローガンを見ていると1960年代のアメリカのテレビコマーシャルを思い出さずにはいられない。黄色と白のチェックのエプロンをつけた主婦が白く輝く笑顔で呼びかける。「Ajaxで洗えば、ワイシャツのひじ汚れにサヨナラ!」


作者不明「環境美化のために草花を植える活動に結集しよう」(1983)

作者不明「熱心に耕す者から先に春は訪れる」(1987) 日本のブランドのオートバイに注目…

しかしこれら新しいタイプのポスターにも、プロパガンダのにおいは残っている。個人的な喜びより も、国家奉仕のための生産を美化する点である。冗談じゃない、あなたは植物を植える活動に「結集」したことなどあるだろうか?次第にポスターは時代遅れとなって人気を失う。美術市場に対する政府の規制が弱まるにつれ、アーチストたちは政府のためではなく、自分のための表現を模索し始めた。ワンが1980年代後半にかけて、毛主席のお決まりの肖像に問いを投げかける作品群を制作することができたのは、このような社会的背景による。彼は前指導者の肖像に黒い太線のグリッドを重ね、従来の温かみのある赤いトーンを冷たい青みがかったグレーに変えた。彼は文字通り毛と人々の障壁を取り除き、多くの人々に神と仰がれていたイメージに新しい見方を与えたのだ。

ワン・ガンギ「毛沢東 AO(三部作)」–1988年 (150cm x 120cm x 3)

現在もなお、毛の巨大な肖像は天安門広場なる故宮正門に飾られている。広場の中には(風水に反して)彼の廟(毛主席記念堂)があり、長時間並びさえすれば、防腐処理された彼の遺体を見ることができる。私は昨年8月の猛暑の中、約2時間立ち続け、ついに(他の人々と同様)その青白い遺体を10秒間だけ拝むことができた。今でも毎日何千人もの人々がここを訪れる。廟の内部は教会のように厳かな雰囲気で、談話や写真撮影やバッグ持ち込みは禁止されている。なんと矛盾した状況—政府は毛の死後、彼の路線からの離脱を図ってきたにもかかわらず、彼のイメージを完全に排除しようとはしない。そして中国人民が資本主義ライフスタイルを希求する一方で、毛の遺体を見に全国から集まる。勇気あるワン・ガンギは、毛の死後わずか10年で、彼の公的な肖像を問題にした。そのような行為は多分に反感を呼んだ(あるいは今でも呼ぶだろう)にも係わらずである。

夜間、故宮入り口

1990年にワンが着手した大作絵画「偉大なる批評」シリーズでは、社会主義と消費主義のイコンがそのまま組み合わされている。カンバスに油絵の作品群は、巷の広告看板ほど大きくはないが、縦横2メートルの堂々たるもの。作品はたいてい1960年代のポスターの力強いタッチで描かれているが、時々その線描きをオリジナルポスターより薄くすることで、時代の経過を表わしている。ワンは時に配色をガラリと変えて緑や青系の色を使い、「ポップ」な感じを与える。また、作品に何百という反復配列の数字を小さく書き加えることもある。これは彼のアートがカタログ化される必要のある「製品」であると言いたいのかも知れない。オーストラリアの美術歴史家チャールズ・メレウェザーとのインタビューでワンは、自分がもっとも表現したいのは「西洋社会と社会主義の間に潜むイデオロギーの確執」であり、「この敵対関係は、単なるアートというよりは、比較文化学の領域」だとしている。

文化大革命期に、こうした強烈なポスターデザインに囲まれて育ったワン・ガンギにとって、ビジュアルアートと社会問題は切り離せないものである。文化大革命のことを彼自身は肯定も否定もしない。ただそれが彼の作品づくりにある「視覚的様式」を与えたことは「意味がある」としている。中国が西側企業に解放された最後の巨大市場となった時、その視覚的様式は一変した。一方、中国人民のより若い世代は、日本の若者と同様、欧米の製品やデザイナーブランドに傾倒している。ある中国の消費者調査によると1995年までには、中国でもっとも有名で尊敬さ れる企業はコカコーラになったそうだ。

ワン・ガンギ「偉大なる批評 コカコーラ」1998 (200cm x 200cm)

中国においてコカコーラやマルボロなどのブランド名は、「非常に社会主義化された」ものであり、それらが物質主義を表わしていることに意味があるとワンは言う。「なぜって中国では物質主義とは革命的なことなのだ。なにしろ私が物心ついたころから、物質主義と理想主義は逆であり、反義語であり、敵対さえもするものだったから。」

物質主義、あるいは商業的成功への欲望は、芸術家の評価にとってもはや矛盾したものではなくなった。とりわけワン・ガンギ゙にとっては。貧しい家庭に生まれた彼は、若いころは典型的な貧乏芸術家であった彼も、今や他の同世代のアーチスト同様、中国の「成り金」の仲間入りである。豊かな先進国が情熱的な文無し芸術家に対して描くロマンチックなイメージは、ワンにとって説得力がない。貧乏の現実を体験した彼は、単なるアーチストではなく、金持ちのアーチストになろうとしている。中国現代芸術は目下人気の的なのでこういった願いもたやすくかなうようになってきているようだ。中国アーチストを紹介するギャラリーの数はうなぎ登りである。作品の価値が上がり続けているが、西洋諸国の芸術に比べると全体としてまだまだ価格が安い。バイヤーの9割は欧米や日本からやってくる。

ワン・ガンギ「偉大なる批評 カールスバーグ」1996 年 (150cm x 150cm)

可処分所得の話は別として、中国現代芸術が、他国のバイヤーを惹きつけるのはなぜか? ワン・ガンギの場合、彼の絵画が幅広い芸術愛好家にアピールする解釈の幅の広さを備える点にあると思う。2種類のイメージを組み合わせれば、それは中国と西側のことだと単純に分かる。ここで起こっていることを理解するのに、なにも中国の専門家でなくてもいいのだ。だが人々が中国を理解すればするほど、同じ作品に別のコンテクストを読み取れることだろう。

ワン・ガンギ「偉大なる批評 WTO」2001 (200cm x 200cm)

ごく最近では、ワンはブランドロゴよりも、自分に大きな印象を与えたアンディ・ウォーホルやヨーゼフ・ボイスといった作家たちの名前に焦点を当てている。よく中国の芸術家は欧米のアーチストのアイデアやテクニックを猿真似しているだけだと言われることがある。しかし私はその非難は的外れだと思う。重要なのは、中国人アーチストが使ったテクニックではなく、彼らが中国社会の直面する問題に取り組んでいる点だ。それに中国社会が「欧米化」しているのだから、欧米のアートやデザインを引用するのはもっともな話ではないか。

ダーシャンツ(大山子)

「北京・東京アートプロジェクト」の最初のギャラリーがここにオープン

最後にワン・ガンギの次なる活動、そして中国現代美術がどこへ行くのかを見てみよう。中国現代美術シーンの中心地は、北京の北東部に位置するダーシャンツ(大山子)準工業地帯、それに上海駅近くにあるモーガンシャンルー(莫干山路)の改造倉庫である。ギャラリー、芸術家のスタジオやショップがひしめくこれらコミュニティーは、企業による再開発で消失する恐れがある。

モーガンシャンルー。進行中の再開発に取り囲まれた古い建築群。

上海アートギャラリー

2008年の北京オリンピックと2010年の上海万博。二つの国際イベントの主催国としての立場から、中国政府はこれら文化エリアを容認せざるを得ず、当面は安全だろう。しかし、たとえこれらのエリアが閉鎖されても、ワン・ガンギのような作家たちは作品を発表し、目覚しい変貌を遂げる社会への見解を表明する場を見つけ出すに違いない。

5 コメント

  1. propaganda poster…

    위젯을 검색하던 중 이런 재미있는 위젯(Maopost Widget)을 발견했다(Maopost제작자의 사이트). 아마 모택동 시절의 중국의 선전 포스터를 하루에 하나씩 보여주는 위젯인 것 같다. DC의 솔로부대로 …

    Posted by: nmindplus @ 6月30日2006年

  2. 呵呵,确实是中国的镜子

    Posted by: 小雨 @ 10月2日2007年

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    Posted by: computer consulting san francisco @ 11月11日2011年

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