カールステン・ニコライ:空間をつくる

2005年5月1日 カテゴリー: おすすめ, インターナショナル, テクノロジー, 特集, 音楽

カールステン・ニコライ:空間をつくる

カールステン・ニコライ( ICCの「ミート・ザ・アーティスト」にて) - 写真提供:ICC

カールステン・ニコライ(Carsten Nicolai)がコンサートのために、初めて日本に招かれたのは1999年。この時、ニコライは池田亮司氏とコラボレーションし、また、初めて坂本龍一氏と出会う事になる。それ以来、ひっきりなしに続くプロジェクトのためたびたび日本を訪れるようになった。カールステン・ニコライは、ノト(noto)、アルバ・ノト(alva noto)という別名でも活動をおこなっているが、間違いなくもっとも革新的な実験的エレクトロニック・ミュージシャン/アーティストのひとりであるといえるであろう。今までに、数多くの展覧会、サウンド・インスタレーションを各国の著名な美術館で行ってきたが、自身の創造的なプロセスに対する微細な視点を作り出すために、ビジュアル/タクタイル(触知性)アートに「音」を用いてきた。彼の分析的な作品の芸術性は まるで、近未来の科学実験室に純粋主義のミニマリズムが合体したかのようだ。現在、NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)で開催中のオープン・ネイチャー展で彼のビデオ作品「スプレイ(spray)」が展示中である。

インタビュー:ウレシカ
訳:キョウコ

もともとは、景観設計を勉強されたとききましたが、いつ、また、どうしてアートや音楽に関係するようになったのですか?

学生時代から、アートにのめり込んでいったよ。音楽にはいつも興味をもっていたし。でも1993年とか94年頃かな、自分で音楽を作りはじめたのは。クリエイティブな環境のなかにいたから、すぐアート系のバンドとか、パフォーマンス、いろんな実験的な事に関わるようになった。当時は、カセットテープでいろんな実験をしていた。で、95年くらいに「『音』が自分にとって面白い題材なんだ」って事に気づいたんだ。それ以来、「音」を自分のアート作品に取り入れるようになったよ、音楽的にも物理的にもね。


“realistic”, 1998 ©BILD-KUNST, Bonn&APG-Japan/JAA, Tokyo, 2005

ご自分の事を、ミュージシャンだと思いますか?それともビジュアル・アーティストだと思いますか?

自分の作品や、自分自身を語る上で、どちらも私だし、どちらも必要なんだ。「サウンド」か「ビジュアル」かなんて自分を制限したくない。いつもいろんなメディアをアレンジして、自分の表現したいものを作るために努力してきたよ。だから、一つのメディアになんて限定していないし、時と場合にもよるしね。自分でもこの(色んなメディアをつかって表現する)事にはすごく時間がかかったし、いまだに他の人に私の作品の複雑さを理解してもらうのは難しいんだ。2つの違ったものー例えば「音」と「ビジュアル」だけど、ーを使えば、2つのまったく違う結論に達するんじゃないかって風に思われるんだね。でも、私の場合、すべては一つ、なのさ。

あなたの作品はとても分析的ですが、あなたが見つけ出そうとしてるものはなんですか?抽象的な構成の背景にあるものはなんなのでしょう?

私の作品のテーマは、一般的な芸術に関する問題と関係があるよ。例えば、「クリエイティビティってなに?僕らはどこから生まれてきたのか?なにがぼくらを突き動かすのか?偶然ってなんだろう?ロジックって?」私の作品は、自然科学から哲学までのそんな疑問についてで、その疑問が色んなメディアを結びつけているんだ。私の作品は、そんな疑問が自然科学から哲学までといったいろんな分野を巻き込んで、いろんなメディアを結びつけているのさ。


“snow-noise”, 2001©BILD-KUNST, Bonn&APG-Japan/JAA, Tokyo, 2005

“snow-noise”, 2001©BILD-KUNST, Bonn&APG-Japan/JAA, Tokyo, 2005


アート作品を作ろうとするとき、どうやってサウンドとビジュアルのバランスをとっていますか?いつも最初から両方とも頭にあるんですか?

ものによっては、音だけで完璧に表現できる場合もある。イメージがかえって邪魔になったりしてね。でも場合によっては、音でも表す事は可能なんだけど、ビジュアルの方が自分が表現したいことをもっと確実に、もっとうまく表現できる事もあるんだ。また別の機会では、時々それ(サウンドとビジュアル)が完璧に重なることもある。だから、本当にいつもケースバイケースだよ。理論上は両方を一緒に始める事も出来るけど、ほとんどの場合は、作品の自然な流れにまかせているね。

包括的で、複雑な展示会をする機会を好みますか?それとも、作品の細部にまで注意を払う事ができる、たった一つの作品に集中する機会の方を好みますか?

いつもいつも、そんなに大きな展示会ばかりは出来ないよね。なぜなら、必要以上に時間とエネルギーを消耗させられるから。フランクフルトで、過去6年間で作った、20作品を展示するという大きな展示会をやったばかりなんだけど、そういう種類の展示会では、題材の複雑さも 作品の多様さと量で理解してもらえるんだ。一方で、一つの作品のみを作る時っていうのは、例えばICCで展示している「spray」だけど、このビデオ・インスタレーション作品はたった1作品で、フランクフルトの大展示会と同様に、複雑に機能して、1作品で同じぐらいの情報量を表現できなくてはならない。レベルは違うけど、(作品)sprayのビデオの断片ですら、(インスタレーション)全体と同じくらいのコミュニケーションがとれないとだめなんだ。


“spray”, 2005©BILD-KUNST, Bonn&APG-Japan/JAA, Tokyo, 2005

“spray”, 2005©BILD-KUNST, Bonn&APG-Japan/JAA, Tokyo, 2005


では、あなたの作品の中心になるもの、また作品の意図するところはなんですか?今おっしゃったみたいに、作品の一部が、全体と同じくらい雄弁である事ですか?

いや、たくさんの要素があるよ。実際、コアとなるものは目に見えないんだ。循環とか、過程といったものに近いと思う。何かの周りを回っているようなものでね。自分の作品の両極性を定義しようとするとき、僕はモノとモノの間にスペースを設けるんだ。興味があるのは、「なに」ってはっきり指定しないで、漠然とした質問を投げかける事だよ。

「Spray」は、「トランザル・サイクル(transall cycle)」と呼ばれるシリーズの3作目だとききました。ここであなたは、「情報が行き交う早さは、私達の生活のリズム(早さ)と同じだ。僕らの頭でネットワーク上の産物が増大している今、僕らは、自分たちが落ち着ける居場所探しているんだ」と言っていますよね。あなたのいつものコンセプト重視の作品にくらべて、とても詩的だとおもったんですが、あなたにとって、感情的なアプローチというのはどのくらい重要ですか?

概念上、知性上の理解と、感情レベルでの理解。この間でバランスをとるように気をつけているよ。ある程度は、どちらも一緒に存在するという事が大切だと思う。だから、どちらかのために、もう片方を犠牲にするような事がないように気をつけているな。

ここICCで行われたトークイベント「ミート・ザ・アーティスト」であなたが見せてくれた画像があなたの作品が非常にコンセプチュアルであるという事を示してました。偶然とか、自由な表現が入り込む余地っていうのはあるんでしょうか?


マルコ・ペリハンとカールステン・ニコライ (ICCにて)

「偶然」が入り込む余地はいつでもあるよ。個々の決定は偶然以外のなにものでもないし、すべての芸術的決断は偶然だ。最初は、どんなオプションに対しても、いつでもオープンなんだ。でも、なにかを選んだその瞬間から、明らかに自分を制限してしまうんだ。Bを選んだら、Aは外されるという風にね。シンプルに思えたり、当たり前だと思えても、実は物事って言うのには、いろんな要素があって、それに影響されて、結果としてBを選んでいるんだ。私たちは、とても複雑な世界に生きていて、理屈や決断がどうやってなされたかをたどるのは、ホント無理な話なんだ。だから、すべての決断は、実は偶然とみなされていいものなんだよ。

サウンドを実際どのようにして作っているのですか?

サウンドはすべてデジタルで、コンピュータで作っているよ。普段は音を作ってから、違うジェネレーターをかけるんだ。最近は、コンピュータの生データが音として解釈されたものを どんどん使っているよ。ワードファイルを画像をして開いたり、またその逆もできるの知っているだろ?それと同じように、音で同じ事をするんだ。そうだな、例えば、メールを「音」として開いたり、画像を「音」として開いたりするんだ。まぁ、だいたいは、そんなに簡単にはいかないんだけどね、プログラムによって、データは特別なコードで書かれてるからさ。でも、ファイルのコードを転換させるシェアウェアなんかも十分流通しているし。とにかく、私はそういう類いの生データで作業する事が多いね。

いつ、そしてどのようにして、坂本龍一氏とコラボレーションする事になったのですか?

私が初めて日本で池田亮司氏と共演したときに、彼が見に来てくれたんだ。それ以来とても仲良くなってね。彼は僕の音楽がすごく気に入ってくれて、それでこのリミックス集を彼のために作る事になったんだ。そのとき彼は、選んでいいから、といろんなマテリアルを僕のために用意してくれたんだ。彼のピアノ曲にとても興味を引かれたよ。そして次に、そうだな、エレクトロニック作品かな。結局、私が選んだのは、とてもシンプルな、純粋なピアノ曲でだった。アイディアは、元の曲を変化させずそのまま生かして、僕の音を付け加えて一つのピースをつくりあげる事だった。両方の音がはっきり区別できるんだけど、ちゃんと一つのピースとしてうまく機能してると思うよ。

「viroon」が最初のアルバムで、「insen」はコラボレーションの続編と見なされると思いますが、一緒に作業をするというのは、どんなものですか?


Insen CD, © raster-noton.de, courtsey of the artist

リュウイチは、とてもオープンで、面白い人物だ。一緒に作業することは、成長のプロセスでもあり、一種の共生関係でもあるんだ。今までは、スタジオで作業して、セッションをするだけだった。だけど、10月からツアーを行う予定だから、スタジオでの作品をライブの状況にうまく変換させなくちゃならないんだ。純粋なピアノのメロディーが、エレクトロニック・サウンドと共存して、お互いを高めあう。これが、このプロジェクトの美しさであり、ポジティブな面なんだよ。

最近の事ですが、あなたは、より大きなプロジェクトのために、作品制作の助手を雇いはじめましたよね。例えば、ベルリンの新国立美術館での「シンクロン(syn-chron)」 展示会のようなプロジェクトの事ですが。そして、今年の12 月に日本では山口情報芸術センター(YCAM)でも展示が行われるんですよね。


“syn-cron”, 2005©BILD-KUNST, Bonn&APG-Japan/JAA, Tokyo, 2005

“syn-cron”, 2005©BILD-KUNST, Bonn&APG-Japan/JAA, Tokyo, 2005


このインスタレーションは、アートと音楽、光と音のハイブリッドというだけでなく、建築と科学の分野での実験でもありました。いろんなものが掛け合わされていて、本当に新たな道を開いたと思います。貴方の作品はこのような地点まで達したわけですが、将来のプランはどんなものですか?なにか大きなプロジェクトをやるような計画はありますか?

自分の作品に合わせるつもりさ。もちろん、作ってみたいものはいろいろあるよ、だけど今は自分自身と相談してみないとね。フランクフルトのシルン・クンストハレで「アンチ・リフレックス(anti reflex)」という大きなソロ展覧会を終わらせたばかりだし、他にも今年は沢山の展示会とパフォーマンスがあるからね。

今後の予定 を、ちょっとだけ言うとすれば、今月の終わりには、ロンドンで、cut and splice フェスティバルのコンサートでパフォーマンスするし、11月にはラトビア共和国で芸術と科学の集まりがあるし。その他の将来のプロジェクトについては、すこし落ち着いてから、次の大きなステップがどんなものになるのかをあらためて考えたいな。

今日はどうもありがとうございました。

1 コメント

  1. Thanks for the great info.

    Posted by: power washing lancaster @ 11月11日2011年

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